兵庫県立美術館で見た「美術の中の物語」の続きです。「Ⅵ 絵が語る人生」では、小磯良平(1903~1988)の作品から、彼の人生を読み解きました。以下、本章で見た作品です。解説文は展示パネルから引用しました。
Ⅵ 絵が語る人生
東京美術学校入学
1922年4月、小磯良平(当時は岸上良平)は東京美術学校に入学します。同期には猪熊弦一郎、荻須高徳ら、日本の近代洋画史に名を残す人物が多く在籍していました。東京美術学校3年時には、藤島武二の教室に所属するようになります。《裸婦》は藤島教室所属後に描かれたものです。
《自画像》1923年
《裸婦》1924年
画壇デビュー
1926年、東京美術学校に在学していた小磯は、帰省中の神戸で遠縁の女性であるモデルに作品を制作しました。この時制作された作品が《T嬢の像》であり、第7回帝展の特選を受賞、画壇に華々しいデビューを果たしました。また、本作が発表される前年に小磯家と養子縁組をしたため、サインがそれまでの岸上良平ではなく「R.Koiso」となっています。
《T嬢の像》1926年
海外留学
1927年に小磯良平は東京美術学校を卒業します。そしてその翌年には、フランスへと旅立ち、約2年の間、滞欧生活を送ります。この時期の小磯は、制作に時間を割くだけでなく、オペラや演劇、美術鑑賞などを行い、西洋文化の吸収に勤めました。小磯の滞欧時代の作品は幾つか残されていますが、それまでの作品とは異なり、強い色彩と大胆な筆致に特徴があります。
《スペインの女》1928年
《風景其ノ三》1928年
あるモデルとの出会い
小磯良平は1930年フランス留学から帰国します。帰国後、小磯は神戸にアトリエを構え充実した制作を続けました。1930年代後半からモデルとして特定の女性の姿が目立つようになります。《踊り子》のモデルを務めた女性がそうであり、物静かな雰囲気や我慢強さ、その佇まいなどを小磯は非常に気に入っていたとされます。
《少女と猫》1931年
《横臥裸婦》1935年
《静物》 制作年不詳
《踊り子》1938年
群像表現
小磯はその画業の初期から晩年までの間、ほぼ継続的に群像を描いた作品を制作しており、群像表現が生涯にわたるテーマの一つであったと考えられます。《斉唱》は、楽譜と思われる紙を手に持ち、襟元の白い黒の衣装を身にまとって合唱する9人の女性を描いていますが、実のところそのほとんどが同一の顔立ちをしており、《踊り子》のモデルとなった女性を様々な方向から描いたものです。
《斉唱》1941年
《会談の前》1942年
「働く人」シリーズ
1950年、小磯は東京藝術大学油画科の講師となり、基礎的な裸体デッサンのクラスを受け持つようになります。この時期の小磯は、「働く人」というテーマで幾つかの作品を制作するようになります。《働く人と家族》もそうしたシリーズの一つです。人体の美しさや群像の表現といった、小磯の画業の中で頻出するテーマを引き継ぐものであるとともに、《斉唱》にもその萌芽が見られたレリーフ的な表現が、前面に出た作品となっています。
《働く人と家族》1955年
1960年代の作品
《ヨットハーバー》1960年頃
《窓の静物》1963年頃
1970年代の作品
《外国婦人》1970年
《婦人(帽子)》1979年
感想
小磯良平が東京美術学校在学中に画壇デビューしていたとは知りませんでした。1960年代以降の作品に解説がなかった事から、中年期以降は大きな変化もなく、穏やかな晩年を送ったものと思われます。
つづく