既に会期は終わっていますが…。京都国立博物館で見た「東福寺展」を振り返ります。
紅葉の名所として知られる東福寺。その寺宝をまとめて紹介する初の大規模展覧会という事でとても楽しみにしていました。
中でも圧巻だったのが、明兆筆《五百羅漢図(1386)》。会期中に展示替えがあり、全50幅のうち第35~45号と第49号、狩野孝信(1571~1618)が元和6年(1620)に描いた第47号を見ました。
それから、高さ217.5cmの仏手が、旧本尊の釈迦如来坐像の左手と知った時、東福寺の伽藍ってものすごく大きいんだと驚きましたね。
それでは展覧会の内容です。以下の文章は博物館のHPから引用しました。
第1章 東福寺の創建と円爾
弘安2年(1279)京都・万寿寺
第2章 聖一派の形成と展開
正安3年(1301)京都・願成寺
鎌倉~南北朝時代(14世紀)京都・霊源院
第3章 伝説の絵仏師・明兆
吉山明兆(1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師です。江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどに高名な画人でした。寺内で仏殿の荘厳などを行う殿司職を務めたことから、「兆殿司」とも通称されます。
室町時代(15世紀)京都・東福寺
中国将来の仏画作品に学びながらも、冴えわたる水墨の技と鮮やかな極彩色とにより平明な画風を築き上げ、巨大な伽藍にふさわしい巨幅や連幅を数多く手掛けました。
第4章 禅宗文化と海外交流
中国で禅を学んだ円爾は、帰朝に際して数多くの仏教文物を将来しました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も継続し、さらにそうした対外交流のネットワークは、円爾の弟子に連なる聖一派の禅僧たちにも受け継がれていきます。
彼らは外交や貿易にも積極的にたずさわり、その後の禅宗文化の基軸となるさまざまな文物が東福寺に集積されていきました。海外交流の一大拠点として発展した東福寺は、日本の文化史上においても重要な役割を果たしたのです。
《十六羅漢図》
中国・明時代(15~16世紀)京都・永明院
第5章 巨大伽藍と仏教彫刻
東大寺と興福寺の名に由来する東福寺の壮大な規模は、京都東山にそびえる巨大伽藍と尊像などの仏教彫刻に象徴されます。創建当初は宋風の七堂伽藍に、仏殿本尊の釈迦如来坐像をはじめとした巨大群像が安置され、「新大仏寺」とも称されました。
四天王立像のうち《多聞天立像》
鎌倉時代(13世紀)京都・東福寺
重文《迦葉・阿難立像》
鎌倉時代(13世紀)京都・東福寺
その後、度重なる災禍に遭いながらも復興を遂げてきた東福寺には、歴代の再建あるいは塔頭に伝来した禅宗建築や彫刻、また関連する書画が現存し、「伽藍面」と称されてきた壮観を今に留めます。