5月24日(日)に登った有馬三山の話です。
有馬温泉駅に着いたのが11:30。手持ちの切符の都合で山電と神鉄を乗り継いだのですが、時間がかかりすぎました。
湯けむり広場の方向へ進み、
太閤像にご挨拶。
向かいにねね像があるそうですが、今回寄り道は一切無し。
太閤通を歩き、妙見寺への参道に入りました。
ここは有馬三山(落葉山・灰方山・湯槽谷山)の登山口でもあります。
歩幅の合わない石段はもどかしく、進みづらさを感じました。
参道脇には西国三十三ヶ所巡りの石仏。現在地の確認に使っています。
途中、参道が舗装路に変わり、
急な石段に変わりました。
だいぶ昇ったと思ったのですが、石仏番号はまだ19番。妙見寺へ行くだけでも大変なのに、有馬三山を制覇できるでしょうか?
足元には破損した鳥居。
一の鳥居が電柱のよう。破損部分が撤去されていたら、鳥居だと思わなかったことでしょう。
狛犬でなく、狛馬。
武士を祀ったお寺でしょうか?
展望を覗きたかったのですが。熊蜂がツツジに群がっていて近寄れず。この時期にここを訪れたのは失敗。
こちらは3年前の夏に見た有馬温泉街の展望です。画像を整理するまで、こんな素晴らしい景色があったのをすっかり忘れていました。
妙見寺まであと少し。
進行方向右手に石仏を祀った祠があります。
しかし!ニの鳥居をくぐった後も石段が延々と続き、うんざりしました。
12:10、妙見寺に到着。有馬三山制覇は体力面でかなり不安があり、誰もいない境内で登山の無事を祈りました。
妙見堂には、明治6年(1873)廃寺になった真言宗の寺院・金杖山金剛寺の本尊、北辰妙見大菩薩尊像が祀られています。
この菩薩像は、至徳2年(1385)、室町幕府3代将軍・足利義満公が有馬温泉に入湯された時、有馬の鎮護にと寄進されたものだと伝えられています。
南北朝時代には落葉山城(別名・有馬城)と呼ばれる城郭が築かれました。そして戦国時代。有馬氏が城主だった天正7年(1579)、播磨攻略を目指して侵攻してきた織田信忠によって攻め落とされたのです。
それから時が経ち、明治39年(1906)、落葉山城の跡地に妙見寺が建立されました。
鎌倉時代に真言宗から日蓮宗に改宗した名残に、弘法大師の石仏と日明上人の供養塔が祀られています。一緒に西国三十三ヶ所巡りを広めた花山天皇(在位:984-986)の石仏も祀られていました。
建久2年(1191)頃、有馬中興の僧・仁西上人に、白髪の老人が木の葉を投げて泉源のありかを示したと言われている落葉山。山頂碑は妙見寺の裏手にあります。
12:15、三角点に到着。落葉山の山頂は展望が悪く、何も見えないのが残念でした。
つづく