メモリアルハウス | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 北淡震災記念公園にあるメモリアルハウス。鉄筋コンクリート作りの家です。住人は1999年(平成11年)1月までここで生活しており、当時で築20年が経過していました。旧耐震基準が適用されていた1981年以前に建てられたことになります。しかし、通常の2倍以上のコンクリートを使用するなど、基礎がしっかりしていた、地盤が良かった等の要因が重なり、兵庫県南部地震では震度7の激震に耐えました。

 

 メモリアルハウスの内装。地盤が傾いたために家全体が傾きましたが、家の歪みや壁と柱の隙間はほとんどありません。

 

 壁に若干亀裂があります。鉄筋コンクリート建築で耐震性の高い建物の場合、震度6弱以上で見られる現象です。逆に木造建築で耐震性の低い建物は、震度5弱以上で破損するそうです。

 

 住人の証言をもとに、再現した地震直後の台所。テーブルや椅子、ワゴンなどの家具類は大きく移動し、食器類は倒れて食器が散乱しました。震度5強以上で見られる現象です。

 

 震災で倒れた家屋は、基礎が脆い、重い瓦屋根やモルタルの二重壁を支える柱が細く、筋交いも少ない、壁の量が少なく揺れに耐えられなかった、風通しが悪くシロアリや木材腐朽菌が発生しやすかった、などの欠陥があり、神戸市などでこうした住宅が多かったようです。

 

 新聞記事によると、神戸市内の木造家屋全壊率は12%。全壊戸数に対する死者の割合は7%。一方、淡路島北淡町は全壊率が44%にのぼったが、死者率はわずか4%。淡路島の震災死者率は神戸の半分以下だったそうです。古い木造集合住宅がほとんど無かったこと、近隣関係が親密でお互いに助け合う島の生活習慣が、被害を最小限に食い止めたと考えられています。

 

 上空から見たメモリアルハウス。野島地震断層は家の下ではなく、約1m海側を通りました。家は元の位置から約20cm持ち上がり、右横に約120cm動いています。

 

 山側の地震断層の段差(断層崖)は約20cm。

 

 花壇は右横に約120cmずれました。

 

 地震断層による段差は次第に大きくなり、海側は段差が約50cmあります。

 

 このアングルで見ると、海側の塀の段差が大きいことが分かります。

 

 地震断層による地面のずれの影響で、家は西南西に傾きました。

 

 敷地の外は玉ねぎ畑でした。玉ねぎ畑も地割れの列が現れ、地割れをはさんで山側の地面が5cmほど上がり、畑の畝が80cmほど横にずれました。

 

 雨風にさらされて崖の形が変わり、地震当時のままの断層崖は、野島断層保存館から南西へ長さ5mほどしか残っていません。

 

 地震エネルギーの大きさと人工物の脆さを目で確かめる空間でした。