瑞峰院(ずいほういん)は、九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟(おおともそうりん、1530-1587)が、大満国師・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開山に迎え、自らの菩提寺として創建しました。宗麟の法名、「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から、寺号が「瑞峯院」になりました。
純日本風の建物の前に南国の木がそびえ立っている、面白い組み合わせです。
方丈は1535年に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
方丈には開祖・大満国師の木像が安置されています。檀家の方々は中に入り、拝んでいました。
方丈前の庭は、蓬莱山の山岳から半島になり、大海に絶え間なく荒波に打ち寄せもまれながらも雄々と独坐している、大自然の活動を表しているそうです。
中国の禅僧・百丈禅師が、この庭を見て「独坐大雄峰(今生きていてここに座っていることが一番有難い。)」と感嘆されたことから、「独坐庭」と名付けられました。
方丈裏の庭は、開基・大友宗麟が、キリスト教を保護したり、宣教師ザビエルについて洗礼を受けたりしたことから、キリシタン灯籠から見て、縦に4個、横に3個の石の流れを十字架に組んだそうです。
この庭は「閑眠庭」と呼ばれていますが、「閑眠高臥して青山に対す」という禅語に由来しているそうです。「今はすっかり老いぼれて、何事にももの憂くなってしまったよ。 もう浮世のことは何の未練も執着も無いし、欲も得も無い。 こうやって寝転びながら山の緑でも眺めているのが何よりの楽しみだよ。」という悟りの心境を表す言葉です。確かに、方丈で寝そべってこの庭を眺めているとそんな心境になるのかもしれません。
茶室は3つあり、安勝軒のみ公開されていました。安勝軒は表千家第12代惺斎(1863-1937)の好みで、大徳寺山内唯一の逆勝手席になっているそうです。
檀家の方々の出入りが頻繁なのは、非公開領域に墓地があるためでした。
お寺が観光客を受け入れるのは、檀家の収入だけでは食べていけない事情があるのかもしれません。