浜街道散策(青木) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 深江と青木の境に「青木の東の地蔵尊」があります。どんな願いでも聞いてくれるお地蔵さんで、子供達が長生きして無事に育つようにという願いを込めて安置されたそうです。

 

 青木と書いて「おおぎ」と読みます。本庄の総氏神・保久良神社のご神体といわれる椎根津彦(しいねつひこのみこと)が青いウミガメの背中に乗ってこの地から上陸したため、この辺りは「青亀(あうぎ)」と名付けられ、それが後に訛って「青木(おおぎ)」と変化したという伝承が残っています。

 1950年神戸市と合併するまで、青木の町は青木地区と西青木地区に分かれていました。

 

 青木地区には八坂神社があります。八坂神社は青木村の米屋利兵衛の所有していた椎根津彦の上陸伝承ゆかりの地を買収し、1840年に神明宮、素盞鳴命、松尾大明神のご神体を勧請して建てられました。

 

 八坂神社の一角に「本庄村道路元標」と刻まれた石碑があり、この辺りが本庄村であったことを示しています。大正時代に建てられたもので、道しるべではありません。

 

 西青木地区には春日神社があります。江戸時代には本住吉神社を総氏神とする山路庄に属し、本庄に属する青木地区とは行政の面からも区分けされていました。

 春日神社は本住吉神社が創始された際に、西青木が供米の地に定められたのを機に建てられた神社だと言われています。

 

 境内には1938年起きた阪神大水害の復興記念碑が建てられています。濁流に乗って流されてきた石を用いて作られたそうです。東灘区は川が多いので、水害の被害が大きかったことは想像できます。

 

前田橋を渡り、魚崎に入りました。次に続きます。