京都鉄道博物館(ディーゼル車両) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 10月4日に投稿した「高度経済成長期の電車」で、電車とディーゼルカーの進化を投稿しましたが、いろいろ疑問があり調べてみました。

 ディーゼルカーは地方の電化されていない区間を走り、電化された区間を走るのが電車です。電化されない理由は様々で、電気代が高い、他社との兼ね合い、物理的に不可能、電化の必要が無いなどが挙げられます。特に北海道は電化されていない地域が多いそうです。

 

 また、ディーゼルカーは乗れますが、ディーゼル機関車は乗れません。ディーゼル機関車は客車や貨車を牽引する車両のことで、ディーゼル機関車に客車や貨車を連結したのが列車です。電車と電気機関車の違いも同じです。

 機関車は動力を持つ車両が先頭にある「動力集中方式」で、ディーゼルカーや電車は動力を持つ車両と動力を持たない車両を交互に連結する「動力分散方式」を採用しています。

 

 日本では外国製のディーゼルエンジンを搭載したディーゼルカーが1928年から私鉄で使用され始めました。鉄道省でも1935年以降にディーゼルカーの試作機の製造を始めましたが、本格的な国産機の開発は戦後になってからでした。その背景には、蒸気機関車のばい煙が日本各地で問題となっていたことが挙げられます。

 

 ディーゼル機関車やディーゼルカーは、ディーゼルエンジンから車輪へ動力を伝達する方式によって、「電気式」「液体式」「機械式」の3方式に分類することができます。

 

 機械式は、ディーゼルエンジンの回転を歯車変速機(ギアボックス)によって調整し、車輪に動力を伝えます。変速機内の歯車の強度に限界があるため、大出力エンジンには不向きな方式です。また、複数車両の変速機を一括制御できないため、普及しませんでした。

 

 世界的に主流なのは電気式です。ディーゼルエンジンで電気を発電し、モーターを動かすことにより、車輪に動力を伝える方式です。装置が多く車両が重くなるのが欠点でしたが、1990年代以降は装置の小型改良化が進み、日本でも電気式が増えています。

 

 日本初のディーゼル機関車はスイス製のエンジンを搭載したDD50形ディーゼル機関車で、1953年に完成しました。

 

 DF200形ディーゼル機関車「ECO-POWER RED BEAR」は、貨物列車の高速化と輸送力の強化を目的として、1992年から使用が開始されたJR貨物の車両です。(画像は借りています。)

 

 液体式は、ディーゼルエンジンの回転を液体変速機(トルクコンバータ)内の油で調整し、車輪に動力を伝えます。電気式よりも装置が小型で車両を軽くすることができるため、日本では液体式が普及しました。

 

 キハ17形ディーゼルカーは、1953年から1957年にかけて製造された日本初の量産形ディーゼルカーで、1970年代まで全国各地で活躍しました。(画像は借りています。)

 

 1958年に完成したDD13形ディーゼル機関車。鉄道施設などで車両入換用の量産型機関車として使用されました。(画像は借りています。)

 

 キハ81形ディーゼルカーは、日本初となる特急形車両で1960年に登場しました。これにより、非電化区間での特急列車の運行が本格化しました。

 

 キハ47形ディーゼルカーは、中・近距離用のディーゼルカーとして、1977年から製造されました。(画像は借りています。)

 

 1994年に登場したHOT7000系ディーゼルカーは、関西と鳥取県を結ぶ特急「スーパーはくと」に使用されている車両です。形式名の「HOT」は智頭急行が経由する兵庫県・岡山県・鳥取県のローマ字表記時の頭文字です。コンピューター制御の「制御付き自然振子式」の採用により、カーブの多い区間でも高速走行が可能です。(画像は借りています。)

 

キハ189系ディーゼルカーは、2010年から使用されている特急用ディーゼルカーです。

 

 しばらく京都鉄道博物館のネタが続きます。私は鉄道オタクではありませんが、鉄道を超スピードで通過する特急列車が何か、意識して見るようになりました。