京都鉄道博物館(JRの誕生) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 国鉄の財政は新幹線とローカル線の建設や人件費の拡大などで悪化し、赤字が常態化していたため、1975年頃から分割民営化が検討されるようになりました。

 また、航空機や自動車の普及による輸送交通手段の多様化によって、国鉄の役割・需要が大きく変化していました。

 そこで、不採算路線の廃止、第三セクター(国や地方自治体と民間の出資による企業)化、バス路線への転換などとともに、中・短距離を結ぶ列車の新設・増量などが行われました。

 

 国鉄は財政再建による改善は困難であると判断され、国会での審議を経て分割民営化されました。

 1987年4月、6つの旅客鉄道会社(JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州)と貨物鉄道会社(JR貨物)、鉄道総合技術研究所などが誕生し、地域に密着した鉄道会社としてのあゆみが始まりました。

 

 ある講師がJRでマナー研修をした時の話。

 元役人だった従業員は利用客を会社よりも格下に考えていて、自分が利用客だったらどういうサービスがあれば気分が良くなるか?を考える事から始めたそうです。

 また、国鉄時代の文書は、電車を「乗合貨物」と表現するなど、人を物と同じように扱っている表現が端々に見られ、内部文書も大幅に改めたとおっしゃっていました。

 従業員にとって、民営化は外から見る以上に大きな事件だったようです。