六角堂 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京都文化博物館の近くに六角堂があります。

 

 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めてこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられています。

 

本堂が六角形であることから、「六角堂」と呼ばれています。

 「六の角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことを言います。人間の欲望、つまり煩悩を脱して角を無くし、円満になること。つまり「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったと伝えられています。

 

 親鸞上人は1201年29歳の時、毎夜叡山を下り、この六角堂に百日参籠し、浄土真宗の開祖になりました。

 

 親鸞堂には、夢のお告げを聞いている「夢想之像」と、六角堂参籠の姿を自列したと伝えられる「草鞋の御影」を安置しています。

 

十六羅漢像。

 『羅漢』とは仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。『十六』は方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。
 この羅漢は、「和顔愛語(わげんあいご)」を実践し、いつもにこにこしています。「和顔愛語」の教えとは、いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあると説かれたものです。

 

 六角堂の北面に、聖徳太子が沐浴したと伝えられる池跡があります。この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。

 後ろの建物は華道家元池坊総務所で、その前に「三十二世池坊専好の水仙立花」のモニュメントがあります。

 三十二世池坊専好(1576-1658)は、『槐記』に「立華ノ中興ハ、専光(好)にニ止タリ。専光ヲ名人トス」と評された、いけばな史上不世出の名人です。

 

 下の写真はいけばな発祥の地を示すモニュメントで、初めていけばなの理論を確立したといわれる『池坊専応口伝』の序文を掲げています。

 

 六角堂を出ました。土砂降りの雨で前方が見えず、この日の観光は切り上げました。