西陣会館から北西へ10分ほどの所に妙蓮寺があります。
妙蓮寺は日蓮の孫弟子、日像(1269-1342)によって創建されました。
五条西洞院(現京都市中京区)の酒屋、柳屋仲興入道妙蓮法尼は日像に帰依し、1294年、邸内に法華堂を建立し、妙法蓮華寺と号しました。
本門法華宗の大本山で、山号は柳の字を二つに分けて卯木山(うぼくさん)、本尊は十界曼荼羅です。
あまり綺麗でないのですが、桜が咲いていました。御会式(おえしき)桜です。
日蓮大聖人入滅の日(10月13日)前後から咲き始め、お釈迦様の聖誕日(4月8日)頃満開となる珍しい桜だそうです。
桜の隣に本堂があります。境内の周りには8つの塔頭があり、現在も人が住んでいます。
社務所で拝観受付をしていましたが、時間に余裕が無かったので止めました。
社務所の入口に椿が咲いていました。普通の椿にしか見えませんが…
500年前から茶人の間でもてはやされていた椿で、「妙蓮寺椿」と呼ばれています。
境内の裏側に墓地があります。この日はお彼岸で墓参りの方々で賑わっていました。その中に赤穂義士46名の遺髪墓があります。
なぜ赤穂義士の墓が妙蓮寺にあるのか?説明は下記のとおりです。
時は1701年、勅使下向の接待役であった赤穂藩主浅野長矩が、江戸城の儀式で吉良上野介に恥をかかされ、刀で斬りつけ、その罪で切腹しました。
主君(浅野長矩)の仇討ちをするため、赤穂藩の家臣大石良雄ら47名が江戸の吉良邸で上野介を討ち取ったが、罪になり切腹しました。
仇討ちのとき姿を消した寺坂吉右衛門は、赤穂への帰路の道中、京伏見に住む片岡源五右衛門の姉宅に立ち寄り、当時の事情により遺髪を託しました。
浅野長矩の3回忌にあたる1704年、姉が施主(供養をする人)になり、自身の菩提寺(先祖代々の墓がある寺)である妙蓮寺に墓を建立し、赤穂義士の遺髪を納めました。
この時期、一番綺麗なのはモクレンの花でした。