ベッドから起き上がるとき、どうしてここまでひどく硬直するようになってしまったのだろう。
ある日ふとホメオパシーレメディーを摂ってみて、翌朝はなんと!痛くな〜い、ベース呑んでな〜い ❣️
この強力な効き方もすごい・・・

それは2日間続きまして、薬いらずに。ところが再度摂っても大して効かない。
つまり、他の何かが原因しているようです。

サインバルタやっぱり考えちゃうな…
いよいよ硬直ひどくなり、入眠も出来ず、ここまでの副作用っていうのも…
あり得る? それとも諦める?
そうですよね……
人知れず我慢強いと仇になるなぁ


あの返品事変から、現在の枕は 7つ目です。
現在はこれ。アマゾンで、デンマーク製。




これはふかふかで全く支えがないから、まず低いのを買い、さすがにペタペタなのでいま普通を使っていますが、あと2センチ高いのをまた買おうとしています。裏側から支える構造がないからツラいかしら。…
でもストレートネックになって以来の私には、硬い枕は使えません。(まして胸を張る形で眠るなんてね)世の中あり得ないこともあるものよね…


京都では最初のホテルの寝具が良くて、自然に沈むため、そのまま寝入って疲れませんでした。
ホテルのオーダーメイド物であることも多く、メーカーは聞きませんでした。自宅使いはまた条件も違うし…
しかし寝具で言えばまた泊まりたいホテルです。

二度目はベッドが硬くて眠れませんでした。お料理と寝具については、原価安にしていることがすぐにわかります。支払いは大差なく、人のサービスは、二度目のほうがましでしたが。



主治医が、肋間神経痛じゃない? と言ったのは、とぼけたのじゃなくて線維筋痛症に合併したんじゃない?
つまり狭心症も、合併したのかも、という意味なのでしょう、と。
じゃなければ場合によっては殺◯てるよな。
3年間も焼け付くような痛みに唸ったまま、思えばろくな鎮痛薬も使っていないしね 🧐
眠れないからトラマール追加しただけで、フェンタニルもまだ主治医は乗り気じゃなくて。
何事も波がありますから、あんなにひどい痛みに唸っていたら、そう、肋間神経痛の期間くらい痛みを止めてやりなさいよ。

私も我慢強くてバカだなぁ
よく放っておきましたよ。
毎日、時間と服用薬と効果(強弱、持続時間)とをメモして…
この痛み一体どこからくるの、肋間神経痛って…って、思い続けたんだぞ、
デパガてつおよ。

その時、丁度テレビの前で座って耐えていたりして、BTS(防弾少年団)のコンサート映像の再放送を観ていた。
ダンスを見ながら私はつくづく思ったものだ。
あゝ、この子たちが肋間神経痛でなくて、本当によかったと。
肋間神経痛だったら、どうするのだろうって。何度思ったかしれない。
激しいダンスをしながら歌うのですから、一日10時間以上練習するわけよねぇ、若い男の子は疲れないのね。
本心からそう思うのも心悲しかった。


毎回、通院時にはどうしようもない胸骨痛を訴えていたのだけれど、自分でサインバルタに気づくまで3年かかった。
やっとサインバルタという劇薬に乗船して舵取りする決意だった。

ほんの数年間、個人輸入の抗うつ薬を、もしかしてもう不要かも、と投げ出し切らしていた私の意思は、初めから勧められたわけでもなく、止められたわけでもない。
多忙が重なり、自分のケアが出来なかっただけ。
ほんの数年、RIMAを切らしただけで、メディカル枕詐欺にかかり、たった一万円ちょっとの枕で、まんまと消えない胸痛を抱えることになった。
つまりは、そこからやっと立派に痛みを伴う線維筋痛症になってしまったのだ。……
(本当に言葉を失うよ…)
絵文字ないわよ


無意識に自分の抑うつ状態の救済のために、続けていた抗うつ薬。
私にとってどれほど役に立っていたことか、今となれば知る由もない。
これは〝心因性〟の烙印の、裏返しだったのだ。自分で苦労して先端の抗うつ薬を足していたのだから。

私は必要悪だと思って、薬を調達していた。それは、結果的には少しも間違っていなかったわけ。……

真っ先に疲労過多と、激痛とが襲ったなら、1980年代〜のあの当時、この病気を理解できるかその気がある人は殆どいなかった。
私はそういうのが大の苦手。
自殺していたと思う。
あの当時、私には勉強含め色々ありまして、純粋に痛みに唸っていることは出来なかったと思う。無念は溢れるほどあったとしても。……
だから比較的無痛であることは、私には重要な個性だったのだ。
何にも代えがたいことだったのだ。


(後述予定)交通事故のときも、抗うつ薬のためか、悪戯な線維筋痛症の痛みは出なかった。
まさに個人輸入を続けていた自分の天晴れだ。
それも心因性云々…を、まともに受け取る側面を、追求し、問うていたからだった。実際に私の抑うつ感はひどかったし…



Dr.てつお氏に会うと、自分の病状を上手く言えないのだけれど、今回は人生最大の痛み。
なにか手を打つように考えなければ。


人によってQOLの考え方は違うだろう。
故に、私は私のQOLを守る。
それを守るのは、私しか存在しないから。これは絶対だ。
誰が私のQOLを代弁し、守ってくれるだろう??


実はこの数ヶ月になってようやく、私は自分の病名について受け入れ始めた。
これまでは、単に主題ではなく、どこかでズラして複合的に捉えていた。
まだ自分でも出来るぞ、って。…

だって、人って、多面体でしょう。
そのことのほうが私には大事だった。

しかしある会社が売り込んでいるメディカル枕のおかげで、この3年要らない苦しみに晒され続けた。

私はもう何者でもなくなったかのようだ。
わが人生は返ってこない。
しかも未来も。
誰も私の痛みと苦難を知らない。


私が今気にしているのは、末期がんと違って、線維筋痛症患者はどう死ぬことができるか、ということ。

まだそれは言わずにおきましょう ㊙️