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2010年01月03日(日) 20時54分16秒

【織田信長の奇門遁甲】

テーマ:小早川秀秋
「黄帝内経」という古代中国の医学書がある。
この医学書は今でも漢方薬や鍼灸の学習書と
して利用されている。その中で「子午流注」
と「霊亀八法」という病気の治療をするのに
効果的な日時を調べる方法が書かれている。
これを利用したのが、三国志で黄巾賊の乱を
指揮した太平道の首領、張角で、庶民の病を
治し信頼を得ていた。
 中国では人体も大地と同じものという考え
方がある。張角は戦術として「霊亀八法」な
どを応用し戦ったとされている。それがやが
て「八門金鎖の陣」として知られるようにな
り、諸葛孔明によって「奇門遁甲」という変
幻自在な戦術として体系化されたと言われて
いる。
 これが後に、城を築城する場所はどこがい
いか、都市の区画はどう整備すればいいか、
家の向きはどちら向きがいいかなどを調べる
風水に発展していく。
 風水は中国が乾燥しやすい環境のため病気
が蔓延しやすい。そこで湿気を部屋に取り込
むため川や池など水の位置が重要になってく
る。この考えを湿気の多い日本にそのまま当
てはめても役に立たない。そもそも置物の色
や位置など運勢とはまったく関係ない。
 以上は、空想の部分もあり、戦術というよ
り占術としてよく知られるようになった。

「奇門遁甲」とは、いつどの方角から相手を
攻めれば勝てるか、また、いつどの方角に相
手をおびき寄せて奇襲すればいいかを調べて
攻略する戦術だとされている。これが実際に
効果があったかどうか分からないが、自分の
都合のいい日時や場所に敵がやって来て、こ
ちらの思い通りに行動してくれるのであれば、
わざわざ「奇門遁甲」を使う必要はないと思
う。
 モンゴルの覇者、チンギス・ハーンは敵と
しばらく戦って、敗走すると見せかけ、伏兵
のいる場所におびき寄せて攻撃した。これを
いちいち占っていては、臨機応変な戦いはで
きず、また自分の勝ち目のない日に敵が奇襲
することもありうる。
「奇門遁甲」を使って負け知らずと言われた
諸葛孔明は、五丈原の戦いで司馬仲達を何度
もおびき出そうとしたが相手にされず、病に
倒れ死亡した。どうも攻撃には使えなかった
ようだ。
 ところが守備にも攻撃にも使える「奇門遁
甲」がある。

 チンギス・ハーンの後世、サマルカンドを
支配したチムールは、それまでの部隊編成が
左翼、中央、右翼の3部隊編成だったのを左
翼前衛、左翼後衛、中央前衛、中央後衛、右
翼前衛、右翼後衛と中央の最後尾に総司令軍
をおく7部隊編成にした。(下図)

         □□□
   □□□ → □□□
          □

 これによって後衛の部隊が自由に移動でき
るようになり、前衛の部隊が相手の動きを封
じ、後衛の部隊が攻めやすい敵部隊に集中し
たり味方を助けに移動することができた。ま
た、チムールは右翼に最強の部隊を当てた。
これは騎馬で矢を射るのに右翼から攻撃する
ほうが都合がいいからで、左翼の部隊が敵の
右翼をおさえている間に、いっきに右翼が攻
めこみ、敵の左翼、中央、右翼を崩していっ
た。

 これを応用して、前衛四方向、後衛四方向
にしたのが下図の八陣図。

     □     ◇   ◇
     □   →  ◇ ◇
   □□*□□     *
     □   ←  ◇ ◇
     □  1  ◇   ◇ 4
          
    ↓ ↑     ↑ ↓

     □    
    ◇ ◇  → ◇ □ ◇
   □ * □    □*□
    ◇ ◇  ← ◇ □ ◇
     □  2        3

 図1と図4は、あえて隙を作ることで敵を
おびき寄せ、後衛の部隊が入ってきた敵の側
面を攻撃し、前衛の部隊が中に入った敵の背
後を攻撃する。
 図2の前衛と後衛は図3のように変わるこ
ともでき、隣り合う部隊はそれぞれ協力して
闘える。

 日本では織田信長が複数の敵を同時に攻撃
する「付城」という戦術を使った。
「付城」は敵の戦闘地域に進軍し、敵を城ま
で徐々に追いつめ籠城させ、その城の周りに
砦をいくつも築き包囲する。(この砦を付城
という)これを各方面に担当司令官を割り当
て同時に行なう。
 そのまま敵の戦力低下や降伏、飢えるのを
待つが、他の場所で決戦があるとき、最低限
の留守部隊を付城に残し、その他の多数の兵
が決戦場に集結し敵を撃破する。
 この戦術が成功するためには、付城に多数
の兵士がいるように見せかけ、部隊をすばや
く決戦場に移動する必要がある。

 付城はあくまでも仮の砦でしかない。

 これを実行していたのが信長の家臣だった
豊臣秀吉であり、明智光秀が本能寺の変を起
こした時、中国地方からすばやく移動したよ
うに見せかけ、天下をものにした。そのノウ
ハウは秀吉の家臣、石田三成にも受け継がれ
ていただろう。

 三成は慶長の朝鮮出兵の最中に秀吉が亡く
なり、戦いを終結させる時、残留している将
兵を速やかに撤退させている。また関ヶ原の
合戦でも事前に松尾山の城を修築させ、徳川
家康の移動を知ると速やかに鶴翼の陣をしい
たあたり、このノウハウを生かしているよう
に思う。ただ家康も本能寺の変の時に伊賀越
えをして逃げ延びたり、小牧・長久手の戦い
で敵の意表をついて現れたりと、このノウハ
ウを熟知し、その上、情報戦を得意としてい
たことが一枚上手だった。

 なおチムールも織田信長も「奇門遁甲」を
意識することなく、実戦で会得しているため、
これが「奇門遁甲」だとする根拠はどこにも
ない。

「奇門遁甲」を正攻法で相手の動きを封じ込
め(あるいはおびき出し)変幻自在な奇襲で
撃破するものだとしたら、チムールや織田信
長は「奇門遁甲」を使っていたと言えるので
はないだろうか。

おわり

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参考文献

鍼灸学講義
中医学院鍼灸教研組編 医林書局出版

八門人相事典
曽川 和翁著 学習研究社

チンギス・ハーン世界帝国の謎
川崎 淳之助著 日本文芸社

家康の天下取り 関ヶ原勝敗の研究
加来 耕三著 日本経済新聞社
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