ももさんのブログで第一報を知り、本日13時より奈良教育大学での現地公開に行ってきました。
調査区は、同大学構内の北東部で、東大寺三月堂(法華堂)から真っ直ぐ南下した場所にあたります。
検出されたのは、基壇外装延石(石組みの最下段の石)と、雨落ち溝および玉石で、東西に列なっていたとのこと。で、東端で北に直角に曲がっていることからここが基壇の東南隅であることが確認されたようです。
調査区西側では、礎石据付掘形および地固め石も検出されたそうです。
この礎石据付掘形と雨落ち溝との間隔から、東西50m以上・南北27m規模の大型建物と推定できること、また、基壇の高さが1mを超えることから、この建物は新薬師寺の金堂とされたようです(講堂だともっと低いのだそう)。
756年成立の『東大寺山堺四至図』に描かれた「七仏薬師金堂」と場所も一致することから、同金堂であるとみなされた模様。この七仏薬師金堂、平城京の大極殿や東大寺大仏殿に匹敵する規模であったとか。
あの静かでこじんまりとした新薬師寺が、こんな大伽藍を誇っていたとは!確かに、かつては七堂伽藍を兼ね備えた大寺院だったことは聞き及んでいましたが、実際にこの目で建物跡の現場を見ると、改めて驚きです。
【基壇延石(奥)と雨落ち溝(手前)】
↑ 建物跡の南側中央部にあたります。
【基壇南東隅部】
【建物跡南東方向から礎石据付掘形・地固め石検出現場を望む】
↑ すごい人だかりで、現場を押さえることはできませんでした;
この西側周辺は地盤が弱かったため、掘形に版築して地固め石を入れ、礎石据付を行なっていたようです。
【調査区東部から西方向を望む】
実は、発掘現場の見学というのは、今回が初めてなんです。
現説デビュー、というやつですね。
こういう穴とか石とかは見ていてもよくわからないところが多いんですが、現場で話を聴きつつ見てみると、写真で見るより少しは理解ができたかな、と思います。
これからも、機会があればできるだけ行ってみようと思いました^^