父の納骨まで | ゆめのつづき@南由斗(南ゆと)

ゆめのつづき@南由斗(南ゆと)

元jw、母は現役

健康問題を抱えているので、
動けるうちにできるだけのことをしようと思って一日一日を大切に生きています。

自己満足の世界ですが、そんな日々の思いをここにつぶやかせて下さい。

下書きに保存していた記事を編集しながらアップしています。時系列が前後してすみません。


父は、亡くなる前には、

あんなに大好きだったお風呂も「もういいよ」と拒否し、

大好きだった鰻もお菓子も食べなくなり、

痛いも言わなくなりました。


数年前、

腸閉塞で入院した父とのラインのやりとりで、

シュークリームの話しになりました↓



最後に、

シュークリームをふた口だけ食べさせてあげられて良かったです。



亡くなる直前までリハビリを頑張っていて、

最後のリハビリの時には握力はそれなりにあり、

私の手をぎゅっと握ることができていました。

でも翌日には全身だらんとしていて、

手にも足にも力が入りませんでした。

自力で寝返りもうてなくなっていました。


父は、多発性骨髄腫で胸椎の圧迫骨折、

ほかにもレントゲンはとらなかったけれど骨粗鬆症のためあちこち骨折していると見られていました。


火葬後に残った骨を見た時に、

想像を絶する痛みであっただろうことが伺えました。


火力の調整はしてくれたと思うけど、

胸椎付近の骨はポッカリと残りませんでした。



相当痛かっただろう…



最後まで残ると聞いていた喉仏も残らなかった。

声が出なくなっていたのはそのせいか。


顔周りもあまり残りませんでした。

ここもかなり痛がっていた部分だ。


本来の骨の様子なのか骨粗鬆症のせいなのか分からないけど、

上半身の骨は綿のように見えてスカスカでした。


よく体の上半身や頭などあちこちクッションを使って痛みを和らげていたなぁ。



一番鍛えてきた足は、しっかりと形を残していました。

さすが昔から登山で鍛えてきただけのことはある。

膝やくるぶしがプリッときれいに残っていたのが印象的でした。





焼いたあとのお骨から離れられなくて、

火葬場のスタッフの方には何度も促されて申し訳なかったけど、

痛みのほどをかみしめたかったから、

もう少し眺めていたかったです…



棺桶には、

父の愛用していたリラックマのクッションと、

好きだった麻雀の本と、

庭に咲いていたサツキの花びらを収めました。

従姉妹のお姉さんが、お手紙も入れてくれました。







本当は、火葬は私一人で行う予定でしたが、

火葬前に顔を見てお別れができると聞いたので、

間に合わなかった弟家族を呼び、

亡くなる前日に会いにきてくれた従姉妹にも声をかけたら、

総勢13名になってしまい、

なかなか大々的な火葬式になってしまいました。


後日、初七日の告別式は、

父の望み通り、姉弟3人と従姉妹2人で谷中のお寺さんにて執り行いました。


その後の四十九日の法要は、姉弟3人だけで行いました。

法要後、先祖代々のお墓に納骨しました。


次は百か日だそうですが、

何度も谷中まで来るのも大変だし、

一周忌で集まることにしました。


その前に涼しくなったらお墓参りに行こうと思います。

でも分骨してるしどうなんだろう。

毎日お参りできてるし笑



ちなみに、実家は母のJWなる宗教のせいで、仏壇は埃かぶった状態だし父の位牌は箱に入ったままです。


この間、実家に帰った時には、仏壇の扉が閉まっていたので、

さすがJWだなぁと思いました。


何だか心許ないので、

私は自宅で、父の写真と分骨のあるスペースにお供えしています。

手元供養みたいな感じで。

正解はよく分かりません。

お香とかろうそくとかまではやってませんが、

大事なのは気持ちだと思うので。


いくら宗教が違うと言っても、

仏壇を粗末にするのは違うと思う。


でも、実家に行っても、私がそこに手を出す勇気はありません。

それもまた母の宗教への執着心・熱意に火をつけてしまうことになるだろうから。


私が実家を継ぐので、いずれは実家に帰ると思います。

そしたら仏壇や神棚は綺麗にしてあげようと思います。