自己受容に必要なことは、

 

 

 

 

高い服を褒めてもらおうとすることでもなく

高い服を着ることで、自分の自信がない部分を隠そうとすることでもなく

その自信がない自分をそのまま見せることであり、

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人に好きと伝えることであり

 

 

 

 

 

 

怒り(2次感情)が出てきた時に、

怒りを分解して

そこに隠れた悲しみや寂しさ(1次感情)見つけ出して伝えることであり、

 

 

 

 

 

 

 

自分が人とは違うことを、

わかってほしい人に対しては隠さないことであり

 

 

 

 

 

 

 

自分のことを好きになるか嫌いになるか

一緒にいたいと思うかを

全て相手に委ねることである。





どれほど怖くても辛くても

決して、目の前の事実に対して

目を閉じずに

ちゃんと見ると

見ようとすること

自分から、見に行くことである。



それがゆくゆくの自己受容のためになる

自分の頭と心100%を愛する結果につながる。

つなげることができる。





自分が喜ぶこと

楽しいこと

好きなことを

追い求めること。

 

 

 

 

 

好きと言ったからこそ見られた

好きだった相手の一面もあった。

 

 

 

 

 

 

相手の理想とも自分は違って

自分もまだまだ人として未熟だけど

やっぱり好き。

明日死ぬならやっぱり、大切だ、大好きだと、伝えたい。

自己受容したい気持ちはあるし

続けることを決めている

 

 

 

 

 

最近、裸で生きようか迷っているなと感じることがある

恋愛対象になるかもと思う人たちと話している時に多い。

 

 

 

 

 

 

その度に心の扉をこじ開けて裸になるようにしているし

聞くのに勇気がいることも聞いてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

怖いと思うことがいくつもある。

 

 

 

 

 

 

怖いと思うことを、

ダメだと思っているのだと、今日気づいた。

 

 

 

 

 

いいんだ。

 

 

怖いから。

怖いと感じることはだめじゃない。

 

 

 

 

また以前のように

勇気を出しても当たり前のように断られる、のも怖い

 

 

 

 

 

時間は有限なのに

神様はどうして自分に試練ばかり与えるんだと思う日もある。

 

 

 

 

 

 

 

でもやるしかない





その怖さに自分が寄り添って

怖いよね、と

心と頭で相談しながら

それでも好きなのであれば

一緒に、震えながら、伝えに行くんだ。





 怖さは悪者じゃない。


 

 

 

 

私は、他人を救えるような人になりたいから

自分を救える人間でいなきゃいけない。

どんな時も、どんな状況でも

自分が誰にどんな感情を持っていたとしても

 

 

 

 

 

 

他人を嫌っている暇は自分にはない。

 

 

 

 

 

もう6年弱伊藤流深層心理学に関わってきて

日常にあるヒントを拾えるようにはなってきた。

 

 

 

 

 

 

見つけられることは増えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

環境の変化もあるだろうけど、

他人にいい影響を与えられることも増えてきた。

結果(好きな人と付き合うということ)はついてきていないし

自分で絶ってしまったかもと思う経験もあるけど

きっと、それを求めて行動(告白など)してきた結果は出初めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

自分に諦めさせようとする謎の自己否定の力に打ち勝って

こじ開けるしかない時もあるのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

叶うかも、と一瞬でも思ったことが相手には失礼かもしれないけど

そういうことを思うのは、自分にとても失礼。

自分を誰だと思っているんだ。

舐めるな。


0.000001%でも可能性があるなら

いくしかない時もあるのか。





 

 一番やりたいこと(心理学?)を追うことと

好きな人に好きと伝えることは

同時に進めなければいけないことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

きっと、好きと伝えることは、お互いの幸せのためになる。

 

 

 

信じる。






もう一人でいなきゃと思わなくていい。

自分は一人でいるしかないと、思わなくていい。 

求めていい。

諦めなくていい




間に合え。


届ける。