みんな元気ですか
続きだよ
物部氏は二ギハヤヒの子孫です。
その物部氏の没落と共に二ギハヤヒの痕跡は
藤原氏によってすべて消されました。
だから後世藤原氏によって編纂された
古事記・日本書紀には登場しません。
物部氏と蘇我氏は宿命の勢力争いの
対決をしました。
古来の神道と新しく伝わった仏教擁護派の
争いを盾にしました。
その蘇我氏も藤原氏との争いに敗れます。
その結果勝者の歴史にすべてが
塗り替えられたました。
それが記紀・・・古事記(710年)
日本書紀(721年)です。
もう一度スサノオの事を振り返って
みたいと思います。
牛頭天王と言えば前回も述べたように
京都祇園の八坂神社が有名ですが、
全国に3千ある天王社の総本山は愛知県
津島市にある津島(つしま)神社です。
実在が否定されているにも関わらず今でも
スサノオを祭る神社の数やその痕跡の残る
地名は消された割に異常に多いのです。
天王がつく地名はスサノオに由来します。
例えば東京の天王洲等です。
単なる神話の世界の神がこれほど多くの
尊敬を集めるとは思えません。
彼は明らかに実在していたのです。
ちなみに八坂神社は平安初期姫路の広峰
(ひろみね)神社から勧請されたものです。
その事は京都市左京区の梛(なぎ)神社
にも記録が残されています。
その梛神社は別名「元祇園社」と言います。
津島神社には歴史の流れから言うと
おかしなことがあります。
810年(弘仁元年)嵯峨天皇は津島神社に対し
スサノオの尊は皇国の大本の天皇であり、
津島神社は日本総社つまり日本で一番
権威のある神社であると言っています。
よく考えるとこれはただごとでは
ないのです。
なぜならそれより100年前に作られた記紀
によれば大本の天皇はもちろんご存じ
「アマテラス」であり日本総社は
「伊勢神宮」でなければならない
のですから・・・
スサノオはこの頃の歴代天皇にとっても
いかに特別な存在だったかが分かります。
この事から想像するのですが当時でも
記紀は軽視されていて少なくともまともに
評価されてはいなかったのでは
ないでしょうか。
もう一人古代の崇敬を集めた神様に
「オオヤマツミ」という神様がいます。
この神様を祭る神社は全国に1万1千社
あると言われています。
これはスサノオの別名です。
その総本社は愛媛県の国立公園芸予海峡の
海に浮かぶ大三島にある大山祇
(おおやまずみ)神社です。
ちなみに日本帝国海軍兵学校はこの
オオヤマツミのご加護を得てすぐ側の
広島県江田島にありました。
今の防衛大学校の一部施設もいまだに
ここにあります。
全国にこれだけの神社がスサノオを
祭っているのです。
そしてスサノオは歴代の天皇や源義経や
織田信長など戦国の武将からも特別の
尊崇を受けていました。
大山祇神社には歴代多くの武将が甲冑や
剣を奉納しました。
日本で最大数のこれらの国宝級の武具が
納められています。
いまでも歴代の自衛隊幹部は参拝します。
その理由はただ一つ・・・
スサノオが日本を初めて統一した実在の
天皇だったからと思うのが自然なのです。
海でも陸でも平和をもたらした神でした。
スサノオは日本の統一を果たす為
日本の夜明けを切り開きました。
そしてスサノオと共に闘い大きな活躍をし
絶大な尊崇を受け日本の夜明けを
完成させた偉大な王がもう一人います。
その名前を記紀から完全に消されている
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかり
くしたまにぎはやひのみこと)
スサノオの息子二ギハヤヒでした・・・
藤原氏はスサノオ・二ギハヤヒに
ゆかりのある神社の名前を天皇の勅令に
より改名させました。
各地の神社はスサノオ・二ギハヤヒの名前が
わからないようにご祭神の名前を
変えました。
このためスサノオ・二ギハヤヒには
多くの別名があります。
前出のたかおかみ・くらおかみもそうですが
ほかにも雷神(いかずちのかみ)
別雷神(わけいかずちのかみ)
大海神(おおわだつみのかみ)それに
八大竜王もスサノオの別名です。
続きはまたね
(ウィキペディアより)
大山祇神社の大楠・・・(ニギハヤヒの孫の)乎千命(おちのみこと)が
自ら手植えと記録にあります。
本当なら樹齢2000年近い。