ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)-you raise me up

you raise me upに感化されまして、上の画像を作画しました。

そして、いい曲ですよね。本当に癒されます!


You Raise Me Up

When I am down and,oh my soul, so weary
When troubles come and my heart burdened be
Then, I am still and wait here in the silence,
Until you come and sit awhile with me.

You raise me up,so I can stand on mountains
You raise me up to walk on stormy seas
I am strong when I am on your shoulders
You raise me up...To more than I can be.

You raise me up so I can stand on mountains
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... To more than I can be.

There is no life - no life without its hunger;
Each restless heart beats so imperfectly;
But when you come and I am filled with wonder,
Sometimes, I think I glimpse eternity.

You raise me up so I can stand on mountains
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... To more than I can be.

You raise me up so I can stand on mountains
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... To more than I can be.

You raise me up... To more than I can be.



「ユー・レイズ・ミー・アップ」和訳歌詞

落ち込んで、心が疲れてしまっている時
困難が訪れて、気持ちに余裕が無い時
私は静かにここで待ちます
あなたがやってきて、私のそばに座ってくれるのを

あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
私は強くなり、あなたが支えてくれるから
あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの

あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
私は強くなり、あなたが支えてくれるから
あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの

あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
私は強くなり、あなたが支えてくれるから
あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの

あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
私は強くなり、あなたが支えてくれるから
あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの

あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの





記事の投稿、どっと間が空いてしまいました。

【まずは日露戦争と言えば 坂の上の雲】
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」3年がかりで、今年12月にPART3(第10~最終回)で終わります。
大ファンで待ってましたとばかり、今から最終回までの分楽しみです。
ご承知の通り、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は大セラー作品で、誰に聞いても面白い・名作との評価が多いですね。
実はまだ私は読んでいないのだが、いつか必ず読むつもりである…。

【海の史劇は傑作である】
しかし、同じ日本海大海戦(日露戦争)をあつかった小説(ノンフィクション)を読んだ。
吉村昭氏 著「海の史劇」を読んだのだが、これも実に面白い。内容は、まさに日露戦争の事なのだが、事細かく書かれていて一息で読み終わった感じである。記述の読みやすさ、細かさ、理解しやすさが魅力である。何故かというと、ロシアで公表された記述文書(コピー)を入手されて、日時・記録を照査されているようで、なるほどと唸らせるものであった。

【南半球への大航海】
日本側だけではなく、ロシア側の見方も記載されていて興味は尽きなかった。旅順・二百三高地を日本が落としその後、東郷平八郎率いる日本連合艦隊とロジェストヴィンスキー率いるバルティック艦隊の日本海大海戦へと続くのである。
ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)-東郷 平八郎 ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)-ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー

この小説で判ったのは、ロジェストヴィンスキーのバルティック艦隊が日本海へ到着するまで大変な思いで航海をしてきたことであった。
ロシアは4つの海に面した湾にそれぞれ艦隊を配置されていた。そのうちの太平洋艦隊(日本海側)を応援するためにバルチック艦隊は第二・第三太平洋艦隊として、フィンランド側リバウ軍港から日本海を目指し出港する。
距離はどの位あるのだろう。気の遠くなるような曳航。途中スエズ運河を通ればショートカット出来、期間も短縮できるのだろうが、スエズ運河は日本の同盟国英国の支配であり、海底が浅く石炭を積んだ戦艦などは座礁する恐れがあったため南アフリカ先端 喜望岬を回らなければならなかった。
曳航期間約7ヶ月、予想では6ヶ月。やはり、簡単にはいかない海上移動は大変な航海であった。

【バルチック艦隊は間違いなく奇跡の航海】
当時の戦艦全般は石炭が燃料エネルギーである。それを途中途中で確保しなければ進めない。
ロシア同盟国であるフランスに事を託すが、フランス植民地で確保するも湾内では滞船できない条件である。フランスはロシアと同盟国であっても、日露戦争には中立の態度であった。そのため、中立国は石炭をロシアに加担する事は出来なかったのである。その情報を日本はつかみ、フランスに違法だと警告を出す。結局ロシアは湾を出て、石炭を船から船へと半人力で積む事になるのである。

また、船員達は南半球への航海を楽しみにしていたようである。初めての南半球であったが、実際は北の国のものが赤道直下を下り、高温・多湿の気候は過酷であった。炎熱で焼けるようなデッキの手すり・熱中症・白い肌を焦がす皮膚病など経験した事のない試練が待ち受けていた。
寄港したマダガスカル島ノーシベー湾では、1ヶ月も滞船を余儀なくされた。それは、スエズ運河を通って来たネガボトフ船艦類(第三太平洋艦隊)と合流が時期が上手くいかなかったのである。
船底には貝・海草が付着し清掃・メンテが大変だったようであるし、食糧・水・石炭は勿論、船員の志気も失われ、そのうち病に倒れ死亡するものも多数出たのである。

このバルチック艦隊は常に日本海軍の魚雷艇に脅かされながら航海をしていた。それは実際に魚雷艇がいたのではなく、いつ来るか判らない妄想であった。遠く船が見えると日本の魚雷艇と思い、実際に砲弾しその船を沈没させた。それは英国の漁船であった。当然英国から責任と賠償金の問題が持ち上げられる。これがドッガーバンク事件である。これによりイギリスと戦争寸前の状態となった。
航海中ロシア陸軍は、旅順・二百三高地を日本に落とされたことを交信で知りショックを受けるのである。

以上のような状況でも、バルチック艦隊はウラジオストックに向かって行ったのである。
7ヶ月も奇跡の航海とも呼ばれ、それは常識では考えられない航海であった。

【司令長官 ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー】
ロシアバルチック艦隊司令長官、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーはこの時56歳、ニコライ二世の絶大なる信頼を受け、司令長官となった。ロシアでは貴族が将軍を務めるが、彼はそうではなかった。少将を努めていたがこの航海中に中将になった。
2007年には発見された31通に及ぶ家族への手紙から、戦場に向かう航海中に既に自軍の状況を的確に把握していたこと、勝ち目の無い戦いであることを予測していたことが判っているようだ。

次回は、日本海大海戦(戦い)を記載したい。



私は、「Cool Wallpaper World」という癒し系の壁紙作品を披露しています。

http://cool-wallpaper.raindrop.jp/

その作品を見たファンの方が、「フジ子・ヘミング~春の宵」(ピアノ曲)とコラボさせていただきました。

とても素敵な作品になっていて、感動しました。

この感動を一人でも多くの人にと言う事で、紹介いたします。

※ ただし、画像の最後の3枚は私の発表したものではありません。あしからず!


春というテーマでのイラスト集が、「春の宵」の曲にマッチしていませんか?

ね!ね!ねっ!
SAMURAI 侍
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本日、TVで三船敏郎主演「用心棒」を見ました。

いや~一言で言うと、痛快!

名も知らぬ小さな村に、ふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていくという物語。

この映画でも、三船の魅力が満載です。

そんな映画に感化されまして、samuraiの壁紙を作りました。勿論我があこがれ三船敏郎のpictureでの作品ですが、モノクロだったものをカラーにしてです。

日本固有の samurai 侍 をテーマにしての作品どうでしょうか。


三船敏郎の壁紙 ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)


無法松の一生を見てからというもの、黒澤明監督・三船敏郎の作品を見たくなりました。

今週末は、CS「日本映画専門チャンネル」では特集があるようなので早速録画予約。「用心棒」「天国と地獄」「椿三十郎」が放映されます。

マイブームとして、「三船敏郎」の壁紙を作りました。ここのブログはどうも、1024×768pixでは標示されないようですので、yahooのブログでは表示しています。

ダウンロードされたい方は、

http://blogs.yahoo.co.jp/yh_doobie50/45089432.html

こちらへどうぞ!!

とにかく、三船敏郎 かっこええです。
無法松の一生

先週5月15日(日)NHK BSで放映されてた、「山田洋次監督が選んだ映画100本」稲垣浩監督、三船敏郎主演の「無法松の一生」を録画し見ました。
題名も三船敏郎が出演しているのも知っていましたが、見た事がなかったので何気なく見ていたが、見ていくうちに引き込まれ、それは素晴らしい映画でした。

稲垣浩監督は自分の作品をリメイクするのが好きなのか、戦前に時代劇の大スター片岡千恵蔵主演で撮った「宮本武蔵・三部作」(1940~42)を14年後、三船敏郎主演でリメイク、その第一部(1954)が第28回アカデミーで名誉賞(最優秀外国語映画賞)に輝きます。
黒澤明監督の「羅生門」(第24回)、衣笠貞之助監督の「地獄門」(第27回)に続き、稲垣監督は当時の日本映画の優秀性を世界に示したのです。そしてこの「無法松の一生」も1958年ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞(グランプリ)を受賞しました。

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【物語】

明治三十年、九州の小倉。
人力車夫の富島松五郎(三船敏郎)は、暴れ者で有名だった。
ある日、「ちょっと芝居を見せてくれ!のぞくだけだから」と頼んだが断られ、その腹いせとして車夫仲間の熊吉(田中春男)と金を払って芝居小屋へ行き、桝席の中で酒のつまみに炭でニンニクを焼いていた。その強烈な匂いに小屋の連中が松五郎に苦情を申し立て、たちまち喧嘩が始まった。芝居小屋は集まった観客を巻き込み大混乱になった。
そこへ仲裁に現れたのは、地元を取り仕切る侠客の結城重蔵(笠 智衆)であった。
「何の関係もない一般の人々に迷惑を掛けたことをどう償うつもりかな?」 結城は落ち着いて言った。
「・・・そこんとこをちっとも気づかなんだ」 松五郎は神妙な顔になり、「俺は謝る!謝る!」 松五郎は素直に土下座した。暴れ者ではあるが竹を割ったような松五郎の性格に結城は感心した。
『祝日露戦役大勝』の旗が掲げられた秋祭りの夜のことであった。

ある日、松五郎は木から落ちて泣いている少年を見かけた。
「おい、ぼんぼん、泣くな」 少年は頭と足に怪我をしている。松五郎は少年を家に送り届けた。
そこは陸軍大尉吉岡小太郎の家だった。
美しい夫人良子(高峰秀子)は息子敏雄を見て松五郎にそのまま医者へ連れて行ってくれるように依頼した。敏雄を医者で看病する松五郎と良子。
良子が世話になった謝礼にといくばくかを渡そうとすると、「それはいかんて、こりゃ商売とは違うじゃけん」 松五郎はそそくさと立ち去った。
「松五郎だって」 吉岡小太郎は良子からその話を聞くと、「あの無法松かワハハハ」 と笑い出した。かって閣下を乗せた無法松が、行き先を知っているかと問われ「お前の行き先くらい知っちょるわい」 と、閣下をお前呼ばわりしたことは軍人仲間の中で語り草になっていたのだ。

吉岡小太郎は松五郎を自宅に招き歓待した。酔って追分を唄う松五郎。
「貴様、軍人なら間違いなく少将までいく男ぞ、おしいのう」
「違う違う」 「違う?」 「わしゃ、軍人なら大将までいくんじゃ」 二人は腹から笑った。
「すまんすまん、確かにそうじゃのう」
その吉岡小太郎が雨天での演習がたたったのか、風邪をこじらせて急死した。
墓の前で良子は言った。「案じられるのは、この子が父親ほど体も心も強うないことです」
「大丈夫、大丈夫」 松五郎は言う。 「まだ小さい子供じゃけん」 
「私からお願いします、折りがある時、この子を鍛えてやってください」
「へい・・・」 こうして、松五郎はことあるごとに吉岡家に出入りするようになったのだ。

吉岡敏雄も次第に松五郎に懐いていった。
「おじさんは泣いたことないの?」 「ぼんぼんみたいに泣き虫じゃなかったぞ」 「でも子供の頃、泣いたでしょ?」「一度だけ泣いたことがある・・・」 
松五郎は昔の話を敏雄に話して聞かせた。
継母に朝から叱られた8歳の松五郎少年は、4里も離れた山の中で仕事をしている父親に会いたくて、一人歩いて行った。途中、茶店の客(上田吉二郎)にうどんをふるまわれ気を取り直して歩いて行くと暗くなってきた。山の中の小道は物の怪が出そうに不気味な気配だった。やっと、父親の小屋の明かりが見えてきた。小屋に入った途端、父(小杉義男)に抱きついて松五郎少年は泣きじゃくった。

小倉小学校の秋の大運動会。吉岡母子と共に松五郎も観戦していた。
『飛び入り500m徒歩競争』 に松五郎は参加した。人力車で鍛えた足は強い。敏雄の大声の声援に応え、松五郎は一着でゴールインした。良子は敏雄の嬉しそうな表情を微笑ましく思うのだった。

引っ込み思案の敏雄は小学校の学芸会で演壇に立ち唱歌を歌うほど活発な子になっていた。
そんな時、良子の兄(中村伸郎)が良子の再婚話を持って来た。良子はていよく断ったが、たまたま庭の鯉のぼりの柱を建てるために来ていた松五郎は、それとなく聞き耳を立て複雑な心境であった。

時は流れ、大正3年。小倉中学4年になった敏雄(笠原健司)は、仲間の学生に誘われ他校の生徒たちとの喧嘩に出ていった。心配した良子は松五郎のもとへ走った。
「そうか、ぼんぼんもとうとう喧嘩するような若い衆になりよったか」 頭に白いものが混じるようになった松五郎は内心喜んだ。
「元気になればなったで心配が・・・」
「大丈夫、大丈夫、わしがぼんぼんに怪我なんぞさせやせんけん」 松五郎は現場に走っていく。
現場では既に喧嘩が始まっていた。木の陰で血を騒がせながら見守る松五郎だが、敏雄が投げ飛ばされると思わず出て行った。
「あ、おじさん、助けて!」 「ばかもん!いいか、ぼんぼん、よう見ちょれ、喧嘩はこうやってやるんじゃ!」 喧嘩の中に飛び込んで行き暴れまくる松五郎。

高校に進むため敏雄は小倉を去った。列車を見送った良子は松五郎に言う。
「寂しくなるわ」 「可愛い子には旅をさせろ、か、昔の人はええこといいよる」松五郎とて寂しい。敏雄のいなくなった吉岡家に行く口実が無くなってしまうではないか。

松五郎は以前にもまして酒を飲むようになった。良子への思慕の思いは募るばかりであった。久しぶりに居酒屋で会った熊吉は結城組の半被を着ており、結婚して二人の子持ちだという。
「なあ松つぁん、そろそろ身を固めちゃどうかな、嫁をもらうんだよ」
「いらん!こんなええ年こいて、いらん!」 松五郎は居酒屋に貼ってある酒造会社のポスターを見つめた。美人画の顔が良子にだぶる。松五郎はそのポスターをもらって帰り自分の家に貼るのだった。

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大正6年の夏休みに敏雄は小倉の祇園太鼓を聞きたいという先生(土屋嘉男)を連れて帰ってきた。カキ氷や綿飴の店が建ち並び、人々が群れた祭り。
敏雄と先生に祇園太鼓の解説をしていた松五郎がやおら舞台の上に上がった。
太鼓を打つ松五郎は序々に調子を出していく。
「これが祇園太鼓の流れ打ちじゃ!」 「暴れ打ちじゃ!」 鉢巻き姿、もろ肌脱いだ松五郎が激しく怒涛のごとくに撥を打ちつづけた。そこには敏雄可愛さと良子への思慕がないまぜになった複雑な思いが込められていた。人々は松五郎の太鼓に魅せられるのだった。

花火が小倉の空を焦がす夜、松五郎が吉岡家にやってきた。縁側で応対する良子だが、松五郎の様子がおかしいのに気付く。松五郎が泣いているように見えた。
松五郎が居間に飾られた小太郎の写真の前に土下座した。そして、良子に向き直ると吐き出すように言った。
「奥さん・・・俺は寂しかったんじゃ」 「ど、どうしたとです?・・・」 良子には意味が解らない。
「俺はもう、お目にかかることはおまへん」 「どうしてそんなことを?」
「奥さん、俺の心は汚い!申し訳済まん!」 ろくに良子の顔を見ることもなく深々と頭を下げ松五郎は出ていった。そして、その日以来、松五郎は良子の前に現れなかった。

松五郎は毎日を酒に明け暮れた。父親も酒がたたって心臓麻痺で世を去ったというのに、自分もそうなるのだろうか。
そして雪の日。酔った松五郎が一升瓶をぶら下げてふらつきながら雪道を歩く。昔敏雄が通った小学校の校庭で松五郎は倒れた。
良子の顔、敏雄の顔、人力車、夏祭り、喧嘩、祇園太鼓などが走馬灯のように松五郎の頭の中に蘇える。

侠客の結城重蔵が死んだ松五郎の行李の中を調べると、吉岡家からの数々の謝礼が手付かずのまま保管されているのだった。その上、良子と敏雄名義の預金通帳には500円も残されていたのだ。
「なんと言う奴だあの男は・・・あの暮らしのなかで・・・」 熊吉は言った。「あいつはそういう男だったんです」
良子はかけがえのない人間を失った悲しみに襲われ、泣き崩れた。


【トピックス】


未亡人の息子とその先生を連れて祇園祭をみに来た無法松が祇園太鼓を打つのをみてこれは本当の打ち方でないといいながら俺が“ちょっとまねごとをやってみようが”とダシの上に上がる。“蛙打ち”を軽くはじめ“流れ打ち” “勇み駒”に進む。バチは大きくまた小さく、空間を切って美しい弧を画いているが、急湍に激する滝水の如き音はー瞬も熄む暇がない。最後に”暴れ打ち” だァ!と叫ぷと急ピッチの打ち方となりぴっしより水を浴びたように汗で光る背中の筋肉を躍動させるのだった。太鼓は恰も心もあって自ら鳴るかのようであった。

三船敏郎にとってはもっとも意気のあがる痛快な場面だが、本職が前に録音したはやしに三船のバチさばきが、ちょっとでも合わないとすぐうそがばれてしまう。このため三船は約10日間カブキのおはやしをやっている田中伝次氏について本格的にけいこし、バチさばきも花柳綿蔵氏に曲芸ばりの打ち方を習ったという。いざ本番に当たっても、本職なみの曲打ちをみせ、五百人のエキストラから“本ものの拍手”をあぴてテレながらゴキゲンの態。
さて前作で阪妻に太鼓の打ち方を教え、こんど又三船に手ほどきした田中氏は両人を比較し、このシーンに関しては故阪妻さんも兜をぬぐでしょうと語っていた。


【感想】

三船敏郎素晴らしいですね!日本の三船・世界の三船です。
当時まだ38歳といいますから、どこからこの円熟した雰囲気が出るのだろうと感心しています。
そしてこの太鼓打ちは、心の底からしびれました。この映画の一番山のシーンですね。本当に素晴らしい太鼓打です。しかし三船敏郎は、いい男ですね。
日本の男、大和魂を見事に演じています。その魅力に世界も認め、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞したのでしょう!

最後に、この松五郎酒におぼれ雪の小倉の中とぼとぼと歩きついに死んでしまいます。それも何故か、小学校の校庭で…。
何故小学校でと思いましたが、それは小学校にも行けなかった松五郎読み書きも出来ずこの歳まで生きてきた。字を覚え読み書きができるのが夢だったのでしょう。純真で素朴な男の夢でした。これには泣きました。人力車で走る事しかできなかった人生。最後はせめて小学校に行きたかったのでしょう。

松五郎は故軍人の未亡人が好きでした。それも好きとは言えず、読み書きも出来ず身分も違う。
未亡人への思いはプラトニックといえるかどうかですが、彼はご祝儀や心付け金等には一切手をつけずその未亡人と子供のためにお金を銀行に預けていました。遺品となるものからそれが判りました。

それが最後のシーンです。もう何にも言えずに…泣いた泣いた。
母子家庭となった今後の2人への思いやり、まさに「愛」でしょう!
本当に心に残る映画でした。・・・・・。

日本に生まれて良かった。

$ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)
大震災での復旧は、刻々と立ち上がりを見せていますね。
見ている側が本当に励まされます。
TV等を見ていても皆さん強い。この状況では、自分はどうなのだろうと思う次第です。


頑張ろう!日本! 頑張ろう!東北!の壁紙を作りました。
日本の国旗をイメージし、色・デザインはすっきり感を出しました。
自分に出来る事といったら、こんなものしかできませんが…。


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Japan Strongly Stands Up 「日本は強く立ち上がる」


ここ10年ほど日本は、国力が低迷していました。そんな矢先、大地震で大きな大きなダメージ。
政治的にも経済的にも、「やばい」と思ったのは私だけではないはずです。
平成になってから日本の首相は何人替わっているかご存じでしょうか?23年経っていますが、16人
だそうです。小泉さんの5年は長いですが、他はほぼ1年平均。
政党が自民党から民主党へ変わったけど、自民党に不信感をもって大多数が民主党に票を入れたの
でしたね。しかしその民主党も不信感いっぱいです。


経済も低迷です。GDP世界第2位から、中国に抜かれ3位となりました。
原発のあの事故で、食品輸出は止められる。地元農家さんも大打撃でした。本当に大変な事です。
私も悔しくてたまりません。


戦争で負けた日本は、戦いを捨てました。平和を目指し、経済でも豊かな国作りを行ってきました。
確かに平和で豊かな国になりました。がしかし、今の日本はどうでしょう。
平和すぎて、平和ボケと言われています。終戦当時の人たちは、復興で頑張ってきましたが、このようにボケてしまう国を望んでいたでしょうか?
日本は資源が生産品がほとんど無く、結局技術や製品加工などで経済を支えてきました。
それも、世界の№1として。


これからも技術の日本として頑張れと言いたい。日本人は手先が器用で、ものを簡素化する力・小型化する技術が圧倒的に優れています。世界が認めています。
努力を惜しまず、秩序を守り、何より相手を思いやる心を持っています。
これらを持っているからには、恐いものは無いと思います。
機械工業品はもとより、古くからは扇子などが日本の発明品です。扇子は凄いですね。うちわの大きなものをコンパクトにしたのには、当時世界中で大流行したようです。
結局人は、高性能で壊れにくく小型で安いものを求めます。
それは日本人が得意とするものであります。これからは更にエコな商品が求められることでしょう。


頑張ろう!日本! 大地震により亡くなられた方々に、頑張ってこんなに立派な復帰をしたよ。
と言ってあげましょう。きっと、喜んでくれるはずです。
そして、これからの日本、世界からやっぱり日本人は凄い・日本は素晴らしい国だと思われるよう立ち上がりましょう!

Japan Strongly Stands Up
タイトル 「ここから始めよう!」
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(クリックすると1024×768pixのサイズになります)


イラストが好きです。

それも癒し系・クール系等 題材的には暖かい感じで、すっきりシンプルに表現したものですが、他にファンタジーや和風なものも大好きです。

これからも、ちょぼちょぼUPしていきます。

デスクトップの壁紙にどうぞ!


私は、photoshopのソフトでフリーの写真・イラストを加工して作成したり、時に自分の手書きやCGとして発表して行きます。
美しいのは基本で、美しくないとイラストとは思っていませんから…(^笑^)
(なんちゃって)


これからも壁紙マイペースで発表します。


doobie
初投稿です!


【あれから】
3/11に東日本を襲った大地震から、すでに1ヶ月半が過ぎ去りました。
時々、余震は続いています。専門家は、今後10年はこの影響を受け、余震は続くのだそうです。
確かにあれだけ揺れたのですから、日本の地盤は相当ずれたのでしょう。
まさに生きている日本。生きている地球なのでしょうね!!
誰でもそうでしょうが、何だかいつも揺れている感じがするのは私だけではなさそうです。


【海外からの支援】
そして日本は、東北は復旧・復興のため頑張っていますね。
ネットで見ると、地球規模で各国から支援・応援の記事やコメントが流れています。これは、本当に
ありがたい事です。これまで日本は、災害のあった国々に対し義援金や物資を送達してきました。
また医療・自衛隊の復興支援など様々な分野で、人道的に救援してきました。そのお礼もしかり、
政治経済関係なく、義援金や救援物資で助けてもらっています。
大国と言われる国々は勿論、小さな国や貧困で悩んでいる国々でさえからも届いているようです。
経済大国日本に対し、わずかな金額であるが使って欲しいと募金が集まっているようです。
これは涙が出るほど嬉しい気持ちです。

当時津波が襲う大被害の映像が世界各国に流れ、そのショックはかなりなものだったようです。
波が押し寄せる、街が海水で埋まる、車・船が流される、そして人も…
大地震を自然と呼ぶならば、人は自然には無力でした。誰もが、そう思ったことでしょう。


【復興ではなく新興で】
壊滅的なダメージを受けた、東北太平洋側はその瓦礫を撤収し復興に向かっています。
とにかく住む場所を追われた方々は、自分の住んでいた場所を元通りにするべく一生懸命になって
おられます。国もその再建にプロジェクトが組まれたようですが、私からひとつ。

ほぼ壊滅状態になってしまった土地を、元に戻すというよりも、新たに町を作る意志で取り組んだ
方が良いかと思われます。津波は、広大で平坦なその地を面積があるが故、被害も大きいのです。
ですから知恵をだし、今後また津波で町がさらわれることのないように考えるべきです。

太平洋戦争で負けた日本は、再建しました。人類歴史上類のない復旧復興。
GDP第2位(今は中国が2位ですが)そして、中流意識です。このように、これまでもこれからも
日本は世界を驚かせます。

【美しい日本】
島国である日本は、世界からすると伝統文化等は独特です。
変化に満ちた自然の美しさ(どの地に行っても海・山の風景は美しい)、四季のもたらす自然の変化、
ゴミのない町、人を思いやる心、勤勉さ、文化等々 自信を持って自慢できると思います。
しかし日本人の最大なる自慢は、それらを自慢しないということです。

普通であるということや、助けてあげても英雄的な考えはしない、秩序を守る等、それらは実に奥深く
大切な事だと思います。
個人主義ではなく、自分だけではなくみんなと一緒、この考えに尽きると思います。
美しい日本とは、自然が織りなすものと同時に、心が一体となっていくこと。

それが美しい日本です。



$ALL ABOUT 日本 (日本について何でも)
私が作画しました。

こちらへも来てください。
http://cool-wallpaper.raindrop.jp/