ある人から、浅田次郎にはまっているという話があった。
鉄道員と言う映画を見たくらいで、浅田次郎の作品は読んだことがなかったので、
神坐す山の物語を読んでみた。
No mountain no life.
若いころは、一年中山に行っていたので、山の物語に惹かれた。
なんと、何度も登ったことがある御岳山の神官一族の話であった。
滝本からの描写にはリアリティーがあり、読みやすかった。
内容も、「見えざるものが見える力・・社会との正しいかかわりがもてない」
ないはずのものを持つ不幸の話であった。
実は、私もこれと同じ体験をしたことが二度ある。
死ぬ前に魂魄の別れを告げに来たという体験である。
一人は父であった。
もう一人は山の友であった。
兵隊宿も天狗の嫁も、見知らぬ少年、宵宮の客、天井裏の春子と
見えざるものを見た話しに溢れていた。
遠野物語を思い起こした。
心に残る文章は
「生命は父母から授かったわけではなく、それこそ神代から連綿と繋がってこの
肉体を生成しているのだと知った。・・・中略・・・愛憎を父母のみに
向けてはならなかった。・・・奇跡が繋いだ血の中に出現した生命だった。」
(神上がりましし伯父)
「キゼンさんの目には人の貴さや卑しさなどは映らないのだ。それどころか
人間も草も木も月も星も空も雲も同じように見えている。」
(聖)
この本に出合えたことに感謝している。
もう一度御岳山に行って、レンゲショウマに会ってこようかな。