【教育制度の近代化】
「李朝下で両班から蔑視されていたハングル(朝鮮文字)を、必須科目として一般庶民に普及させたのは、日本の総督府で在った」

「日韓併合当時、近代教育の小学校は100校程度しか無く、他には「書道」と謂う寺子屋のような施設が見られるだけだった。書道では儒教の、孔・孟の古典と倫理教育のみに限定されていた」

「総督府は一面(日本の村に当る)一校を目標とし、1936年には公立学校2500校、1944年には5213校と為り、生徒数は239万8000人に達した。こうして義務教育の就学率は飛躍的に増加した」

「総督府は高等教育の充実にも力を注ぎ、1924年に京城帝国大学が創設された。因みに台湾の台北帝国大学は1928年に創設され、大阪帝大の1931年、名古屋帝大の1939年よりも早い」
 
【李朝518年の道路事情】
「李朝下の朝鮮では、人間が通れる安全な道路は全く無かった。新役人が赴任すると『今度の役人はどの位泥土に嵌ったか』と尋ねる位で、幹線道路でも荷車・牛車・人力車もやっと通れるほどで、殆どは田んぼのあぜ道程度で在った」

「釜山とソウルの場合、400余キロの距離を行き来するのに、25~6日かかるのが普通で、旅人も稀であった。ソウルと仁川間の32キロも行き来に5日以上かかる為に、生産・管理・消費・物流などの社会基盤も無く、近代化とは全く無縁であった」
 
【日本人の税金で賄われた鉄道建設】
「1894年日清戦争勃発を契機として、朝鮮に鉄道敷設の機運が熟したが、李朝には財政・経済に対する基礎知識も無く、交通・鉄道に関する認識も無かった」

「1986年「京仁線(ソウル~仁川間)38,9Kmの鉄道敷設権を日本企業(京仁鉄道合資会社)が米人モールスから買収し、1900年7月8日全線開通させた」

「京釜線(ソウル~釜山間)450,6kmは京釜鉄道(株)が、1905年1月1日に開通させた」

「京仁・京釜線鉄道の建設費は3500万円だったが、同年の大韓民国の収入額は784万円であるから、自力での鉄道建設は無理であった。此の難局日本企業が切り抜け、京仁・京釜線を開通させた事は、天佑神助と謂わざるを得ない」

「京義線(ソウル~新義州間)は、仏国グリーンが敷設権を取得したが、日本陸軍が買収して建設を受け継ぎ、1906年4月に開通した」

「京義線と馬山浦線の建設費は3138万円で、京仁・京釜・京義・馬山浦線建設費を合わせると6638万円と為る。此の建設費は日本人の血税で賄われたが、現在のレートに換算すると6,6兆円に相当する巨額な金額である」

「日韓併合時には、既に全国1039,7kmの路線が完成していたが、併合後は湖南線・京元線・平南線・咸鏡線と伸長して行く。1945年終戦時まで鉄道網の拡張は続き、其の総延長距離は6632km、駅の数762、従業員は10万527人に達した」

「伊藤博文と大隈重信が国内の反対を押し切って、朝鮮の鉄道敷設計画を推進した功績は大であった」

以上「日韓併合: 歴史再検証 韓民族を救った「日帝36年」の真実」崔基鎬著より

続いて「頂門の一針 6951号」より転載します。

【「異常な」復興遅れ痛感】

【有本香の以読制毒】奥能登視察で「異常な」復興遅れ痛感 与党議員は被災地の現状に真摯に向き合う姿勢を 「5500億円超を支出」は詭弁 

 私は27、28日、今年1月1日に発生した「能登半島地震」の被災地、奥能登を視察してきた。政治団体「日本保守党」の代表で作家の百田尚樹氏、保守党のスタッフ2人と、主に石川県輪島市と珠洲市を回り、被災した方々や地元メディア関係者、復興に携わる方々のお話を伺った。

 その感想をあえて一言にすると、「大変ショック」だった。輪島でも珠洲でも、市の中心にさえも瓦礫(がれき)が山と積まれたところ多々あり、到底、発災後7カ月の街とは思えなかったからである。

 「能登の被災地の復興が遅れている」─。現地を知る方々のこういう訴えをよく耳にし、目にしてきた。

 アルピニストで災害支援の経験も豊かな野口健さんは3月1日、自身のX(旧ツイッター)に、「今回は今まで僕が経験した被災地と何かが違う」と投稿していた。

 発災2カ月後のこの時点で、野口さんは9000個以上の冬山用の寝袋などを被災地に届けていたが、依然、寝袋への問い合わせが多いとも投稿していた。その背景として、被災2カ月で避難所から半壊の自宅に戻らざるを得ない人や、1カ月半たっても避難所で敷布団もなく段ボール1枚敷いて寝ている被災者がいることも明かし、「この国は果たして本当に先進国なのか」とも記していた。

 これに対し、数量政策学者の高橋洋一氏が、次のようにリプライした。

 「今回の能登半島地震がこれまでと違うのは、財政の観点から見ると、従来は震度7クラスでは1カ月余で災害復旧の補正予算が必ず計上されていたが、今回はそれがなかったこと。予備費でチマチマ使うのと、補正予算でドカンは違うでしょう」

 高橋氏は同じことを、筆者の主宰するネット番組「ニュース生放送 あさ8時!」でも解説していた。これは重要な指摘である。

 自民党議員の中には「政府は能登半島に5500億円超を支出した」と強弁する者もあるが、これは幼い考えか、詭弁(きべん)だろう。災害時に限らず資金というものは、トータルの支出額のみならず、いつ、いかなるかたちで投入するかが重要である。

 与党議員にはぜひとも「保身」に汲々とせず、「能登の現状」に真摯(しんし)に向き合う姿勢を見せてほしい。

 野口さん以外にも警鐘を鳴らすエキスパートはいた。

 幾多の災害現場を経験し、能登半島地震でも発災直後から最も遠い珠洲市へ繰り返し赴き、ボランティア活動を続けてきた防災士の大河内元喜(おおこうち・げんき)さんは、「今までの現場とまったく違う」と警鐘を鳴らしてきた。

 大河内さんは、「ニュース生放送 あさ8時!」に出演した際、日頃の温厚さと打って変わって、語気を強め「これは異常です」と訴えていた。

 私たちの今回の視察は、複数のエキスパートが「遅れ」を指摘する現場をこの目で見て、被災地の方々の話をじかに聞いて、いま日本保守党としてできることを具体的にプランするためのものだった。

 金沢市からレンタカーで走ってみると分かるが、道路事情もまだ悪いところがある。輪島市や珠洲市の市街地に入ると、冒頭述べたように瓦礫の山、崩れた家があちこちにある。

 そんな中で筆者が驚いたのは被災した方々の辛抱強さと上品さである。

 不幸を愚痴ったり、行政の不備を責め立てたりする人はいない。しかし、尋ねれば問題点をきちんと整理し説明してくれる。被災者同士助け合う自助精神の強さにも驚かされた。

 能登での課題はあまりにも多い。今も避難所に暮らす方々のことはもちろんだが、仮設住宅入居者にも不自由がある。家こそ壊れなかったが、今も水道が再開していない地域に暮らす方々もいる。多くの人が仕事を失ってもいる。

 他方、一部の仮設住宅は早々に建ったものの、入居経緯に奇妙な点があったりもしたという。しかし、一様に「議員は役に立たない」との諦めの弁が聞かれる。

 設立から1年未満のしがない政治団体たる「日本保守党」は非力だが、小さな一つでも、被災した方々のためになることを実践したい。今、その一心である。

☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文  夕刊フジ令和6年7月30日号採録