親鸞聖人は、最後まで、阿弥陀仏を信じることが出来なくて苦しんだ!
最後は、信じる、自分の行為・ことを、完全に、放棄した!
自然・法爾
・・・自然と、そのように、なってしまう
・・・老荘思想の「道・ダオ」に、全てを委ねる
・・・無為自然、無事、人為を廃する、絶対無の世界、
==或る書評より
遠藤周作を続けて読んでみようとタイトル買い。
Q&A方式のエッセイというか、遠藤氏の宗教、信仰についてのシンプルなことばに
「ああ、あなたはそうなのですね」と対話する感じで読むことが出来る。
とても不思議なのだけれど、ここでおっしゃっている遠藤氏の仏教に関する知識は
とても禅寄りなのだ。なのに最終的におっしゃてていることが真宗になるという・・・。
これがわざとではないのだ。自分で求道されて至られたところがここなのだというのが本当に伝わってくる。
細かいところをみて「これは真宗じゃない」という人もいるかと思うが、
なんの知識もない人が自分のことを見つめて見つめて考え抜いた末に至ったところが真宗と似ている
のって、ぞくぞくする。
遠藤氏は『沈黙』に出てくるキチジローは自分だとおっしゃっている。
そうだなとも思うし、
自分はどこにいても見えるキチジローが最終的にはロドリゴにとって、
自身と同じものでもあり、キリストでもあるような気がしたのだった。
キリスト教のことはよくわからないけれど。
”信仰というのは九十パーセントの疑いと十パーセントの希望である。”
これも刺さるなあ。疑いしかないのだ。
自分はありがたいと、信じていると、疑いがないなんてまったく口に出来ない。
これを読んでしまったが為に、信仰の揺らぎと共に書かれたという
『イエスの生涯』『死海のほとり』『キリストの誕生』を読まなくてはならないと気がついてしまった・・・。
光文社 (1983/6/1)
(1923-1996)東京生れ。
幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、
11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。
フランス留学を経て、
1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。
主な作品は
『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。
1995(平成7)年、文化勲章受章。
1996年、病没。