ちょっと思うことがあって書きました。

 

タイトルにもあるように、

 

あくまでも私見です←ここ大事!!!

 

ご理解くださいませm(__)m

 

 

 

 

先日、あるカンファレンスで「スピリチュアルケア」をテーマにした発表を聞きました。


正直、最初はタイトルを見て「どんな深い話なんやろ?」って少しワクワクしてたんです。

 

でも、聴いていくうちに、なんとも言えないモヤモヤが残ってしまいました。

 

 

発表の中では、「生きてる価値がない」と話す利用者さんに対して、
看護師が“寄り添って話を聴いた”という関わりが紹介されていました。

 

でも、その場面はじっくり話を聞いていた場面・・とはちょっと思えないような、

 

少し違和感のある場面でのことでした。

 

 

「そんなときにそんな深い話せんでも・・・」と思いました。

 

 

 

そしてはなしの内容は

 

「スピリチュアルな問題」というよりかは

 

 

「自分にはもう何もできないという、役割喪失感」

「それによる「自己肯定感の低下」に近い感じかなって思いました。

 

 

スピリチュアルな痛みって、

 

「自分話せ生まれてきたのか」それこそ「存在する価値」とか、

「なぜこんな病になってしまったのか・・・」という、解決できない哲学的な、

 

本当に魂レベルの痛みだと理解していました。

 

 

でもそれだけじゃないんだなということがこの発表ではわかったのですが、

この患者さんの「役割喪失的な苦しみ」は、

もう少し患者さんの言葉を紐解いてあげると、

何か関われそうな気がしてきました。

 

そしてそれが解決すれば

患者さんの「自己肯定感の低下」はここでストップするのではないかと思いました。

解決できないような問題ではないんじゃないかと・・・。

 

 

引き続きその発表を聞いて

どんなケアを実践され何か解決できたのだろいうかと

楽しみに続きを聞いていましたが、

 

結局は看護師が

 

*話が長すぎて帰れない、次の訪問に影響が出てしまう

*毎回同じことの繰り返しで、どう対処していいのかわからない

*話を切ってしまってもいいのか

 

と深い悩みのループに陥り、双方に対して

どうしていいのかわからないということでした。

 

 

 

この発表にはおおむね2つの課題があると思いました。

 

 

一つは患者さんの役割喪失、自己肯定感の低下にかかわる課題

もう一つは、看護師のコミュニケーションスキルと対ミマネジメントスキルの問題。

 

 

 

訪問看護は利用者一人にかかわる時間が病院より長いと思います。

 

実際、病院では一人の患者さんに1時間や1時間半などの時間は取れませんもんね。

 

 

訪問看護は看護計画を立て、ケアの内容から大体これくらいの時間がかかると想定し、

プランを汲んでいます。

 

おおむね1時間程度が多いです。

 

 

その中でタイムマネジメントをしながらケアを組み立て、

必要なら話を聞く時間を設けていきます。

 

普段のケアを巻き巻きに巻いて(不可能なこともある)少し話をする時間を作ろうか・・・とか、

 

「改めて話を聞く時間を家族やケアマネと相談して作ってもらおうか・・」

 

などいろんなアセスメントをして、「話す時間の確保」を検討します。

何を優先するかは、その時の利用者さんとのかかわりの中で、

日々変化することは常です。

 

また、「今はケアのほうが優先」

そのようにアセスメントした場合は話を切る会話をする技術が必要です。

 

 

でもブスっと切ってしまえば、患者さんはもう話をしてくれなくなります。

 

 

「あなたの話をしっかりききたいから、改めて時間をもうけるね」という気持ちのこもった切り方。

 

これが必要なコミュニケーションスキルだと思います。

 

 

「あ、こりゃ、深い話になりそうやな、長なりそうやな」と思ったら、

 

 

「その話は大事はなしだと思うから後程ゆっくり聞かせてください」といえば、

 

待ってくれるんちゃうかなって思いました。

 

 

 

その方が、患者さんの満足度は高そうです。

 

 

 

ですが発表の中では、

 

 

どうもそのタイムマネジメントと、コミュニケーションスキルが生きていないと感じて、

しかも「ケアの最中に、そんな深い話をするのか・・・」

「うまく話を切り上げれんかったんか・・・」というような感じでした。

 

 

で、そんな中でも話を聞いて何か解決の糸口が見つかったのかなと思いきや、

 

患者さんは何度も同じ話をされ、

 

看護師はさらに時間を取られ、ケアが押し、次の訪問に遅れることも…ということでした。

 

 

 

それだけの時間を患者さんは話に費やし、

 

でも、解決の糸口が見つからないのは、

 

 

私はさらに話の聞き方に、検討の余地ありと思うのです。

 

 

 

結局のところ、患者さんが何回も同じ話をするのは、

 

認知症のかたの症状とかではないなら、

 

 

「話を聞いてもらっていない」

 

 

という思いがあるからではないかなと思うのです。

 

 

私はこの発表を聞いて

 

 

最初にも書きましたが「自分の役割喪失」に悩んでいる・・・。と思いました。

 

そしてその役割って何やろう?(後でわかりました)

ほかの役割に変換できないのか?

今しかできないことなのか、少し頑張ればできることなのか・・・

 

など、その患者さんの役割遂行についての検討事項が

たくさん出てくるのではないかなって思いました。

 

プロセスレコードまで取って会話の分析をされているのですが、

その中身をしっかり見てみると

ヒントが隠されていました。

 

そこで出てきた検討事項を今度はスタッフと共有し、

家族やケアマネジャーや、他のサービスの方々と共有し、

できることをしていく・・って

このケースではできたんじゃないかなって思いました。

 

いやもちろん言うがやすしやとは思っていますよ、実際本当に難しかったんやろうと推察します・・・。

考え方としてね。そう思うのです。

 

 

看護師は本当にたくさんの時間を割いて、ケアしていました。

 

この方のケアは身体的ケアもたくさんあって

 

本当に大変だろうなって思います。

 

 

そこで、それプラス「深い話への対応」だったのですから、

 

精神的にも大変だったとおもいます。

 

 

でも、

もう少しシンプルに考えることで、

解決の糸口が見つかったのではと改めて思います。

 

 

患者さんの問題と、看護師の問題は

別の考えたほうがいいですね。

決して「長い話をそのまま聞く看護師」がいいケアしてるかといえば、

そうではないということが

無限ループで話をする患者さんの行動でわかるのではないでしょうか。

 

長い時間話しを聞いただけではケアとは言えないと思っていて、

そのあとに、「患者さんの行動がどう変わったのか」、

「どうケアしたのか」がホンマのケアちゃうかなって思うのです。

 

ケアの中身を語るのは、看護では非常に難しいです。

 

目に見えてわかるケアじゃなく、心に寄り添うケアは、見えにくいし、語りにくい。

それを「寄り添う」という言葉に置き換えてるのです。

 

 

でも、寄り添うって改めなにかといえば、

 

その中身を行動で語れるかどうか

 

かなって思うのです。

 

 

きれいな言葉を並べんでも、
ほんまに寄り添ってる人の関わりは、
ちゃんと患者さんに伝わる。

それは、言葉の響きやなくて、目に見える行動と、変化なんやと思う。

 

このケースでは
ケア中に「生きてる価値がない」と言われた時には、
その瞬間はただ受け止めて、
後日改めて話せる時間を作る。

 

あるいは、長く話が続きそうなら、
「今日はこのへんで体休めましょう。また続きを聞かせてくださいね」
って区切るのも優しさ。

それも全部、寄り添いの“かたち”やと思うんです。

 

発表を聞き終わって、
私は「自分はどうやろ?」って振り返りました。


寄り添うって言葉、何気なく使ってるけど、
ほんまに“行動で示せてるやろか?””変化できてるかな?自分も利用者さんも”って。

こういう振り返りってホンマ大事だと思っています。そして思ったことは

 

「本当の寄り添うを考えられる看護師でありたい」ということ。

 

キレイな言葉の響きじゃなくて、

 

本当の意味の寄り添うって何なのかを常に考えられる看護師でありたいと思いました。

 

そしてそれを言葉にできるようになりたいと思っています。

 

 

スピリチュアルケアって、
特別なことやなくて、日々の関わりの中にあります。
「話を聴く」も「そっと区切る」も、
どっちも相手を思っての行動やと思います。

寄り添うって言葉を使わなくても、
ほんまに寄り添ってる人のケアは、言葉より先に伝わるんちゃうかな

 

そんな風に思った発表でした。

 

この学びをこれからもケアに行かしていきたいです!

発表者の方に感謝いたします。

 

長々とすみませんでした💦💦