胡林翼[i]
は鄂[ii]
の巡撫で、武昌の軍を治めていた。その中では鮑超の軍隊が最も強く、城の外にあって守りを固めていた。
文官の兪なにがしは、本籍地を北に置く浙[iii]
人で、年若くして科挙に及第した人物であった。任期が満了し、まさに帰京しようとする時、胡林翼は彼の為に宴席をはり、鮑超は功績も高く人望も厚く、女子供にまでその名を知られていたので、陪客とした。兪は意外にも鮑超を蔑視し、宴席の間声をかけることもなかった。
散会すると、鮑超の怒りはたいそうなもので、馬に跨り城を出て、供のものに「みんなどこへなりと行っちまいな、武官には何の値打もないだとよ、兪文官様といったってたかだか七品[iv]
のくせして、オレを見下しやがって、連中は宮中にいるけれど、オレは誰の為に働いてきたと思ってんだ!?」と息巻いているところに、胡林翼が馬で馳せて来た。
胡林翼は宴の最中にあって既にこの雰囲気を察していたので、超が出発するや、これを追ってきたのである。そして「兪はまだ若いので経験不足なのだ、明日あなたの前で兪に対して説教するとしよう、特別に譴責の場を設けるとするから、明日の正午に来られるがよかろう、兪は陪客あつかいとするし、ぜひ出席なさい」と言い、鮑超も了承した。
次の日、三人の中では超が貴賓、兪は陪位であった。胡林翼は進士合格者の大前輩(十期以上さかのぼった科挙試験の合格者は大前輩と呼ばれ、兪は胡林翼の十期後輩にあたる)として、直々に叱りつけた。兪はおとなしくそれを聞きいれた。
譴責が済むと、胡林翼はまたこうも言った「喧嘩するほど仲が良いという言葉もあるくらいで、我ら三人の換帖[v]
に妨げなどないのだから、義兄弟となろうじゃないか」
兪はなお躊躇していたが、胡林翼は怒気のこもった眼差しで睨んで、赤い誓紙を準備させると、各々が署名して三代に渡る家系を記して、互いに交換した。胡を長者として、鮑がこれに次ぎ、兪はさらにそれに次いだ。胡林翼は鮑超にこう言った「今からこの兪は我らの末弟で、間違いがあれば面と向かってただすべき、たがいにわだかまりを残すようなことはあってはならない」鮑超はおとなしく聞きいれ、気はおさまって、存念も無かった。