第七話 詞臣嬌慢(文官の傲慢)(担当さかもと) | 野記読書会のブログ

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清朝末期に官僚を務めた人物が民国期になって、清朝時代に見聞した事を書いた『清代野記』の現代語訳。
毎週日曜日に4話づつ更新予定。
底本は張祖翼(坐観老人)撰『清代野記』(北京:中華書局,近代史料筆記叢刊,2007年)を使用。中華書局本の底本は1914年野乗捜輯社鉛印本。

 胡林翼[i] は鄂[ii] の巡撫で、武昌の軍を治めていた。その中では鮑超の軍隊が最も強く、城の外にあって守りを固めていた。

 文官の兪なにがしは、本籍地を北に置く浙[iii] 人で、年若くして科挙に及第した人物であった。任期が満了し、まさに帰京しようとする時、胡林翼は彼の為に宴席をはり、鮑超は功績も高く人望も厚く、女子供にまでその名を知られていたので、陪客とした。兪は意外にも鮑超を蔑視し、宴席の間声をかけることもなかった。

 散会すると、鮑超の怒りはたいそうなもので、馬に跨り城を出て、供のものに「みんなどこへなりと行っちまいな、武官には何の値打もないだとよ、兪文官様といったってたかだか七品[iv] のくせして、オレを見下しやがって、連中は宮中にいるけれど、オレは誰の為に働いてきたと思ってんだ!?」と息巻いているところに、胡林翼が馬で馳せて来た。

 胡林翼は宴の最中にあって既にこの雰囲気を察していたので、超が出発するや、これを追ってきたのである。そして「兪はまだ若いので経験不足なのだ、明日あなたの前で兪に対して説教するとしよう、特別に譴責の場を設けるとするから、明日の正午に来られるがよかろう、兪は陪客あつかいとするし、ぜひ出席なさい」と言い、鮑超も了承した。

 次の日、三人の中では超が貴賓、兪は陪位であった。胡林翼は進士合格者の大前輩(十期以上さかのぼった科挙試験の合格者は大前輩と呼ばれ、兪は胡林翼の十期後輩にあたる)として、直々に叱りつけた。兪はおとなしくそれを聞きいれた。

 譴責が済むと、胡林翼はまたこうも言った「喧嘩するほど仲が良いという言葉もあるくらいで、我ら三人の換帖[v] に妨げなどないのだから、義兄弟となろうじゃないか」

 兪はなお躊躇していたが、胡林翼は怒気のこもった眼差しで睨んで、赤い誓紙を準備させると、各々が署名して三代に渡る家系を記して、互いに交換した。胡を長者として、鮑がこれに次ぎ、兪はさらにそれに次いだ。胡林翼は鮑超にこう言った「今からこの兪は我らの末弟で、間違いがあれば面と向かってただすべき、たがいにわだかまりを残すようなことはあってはならない」鮑超はおとなしく聞きいれ、気はおさまって、存念も無かった。

 兪は京に帰り涿州[vi] というところまで行って、井戸に身を投げて死んだ。母親にそれを迫られたとも言う[vii]



[i] 胡林翼:曾国藩、左宗棠、彭玉麟と並んで晩清中興四大名臣と称されている人物

[ii] 鄂:湖南省のこと

[iii] 浙:浙江省のこと

[iv] 品:官位の等級

[v] 換帖:義兄弟の縁を結ぶ時に、各々の家系を誓紙に記して交換すること

[vi] 涿州:河北省の地名

[vii] 文官は武官を蔑視しており、武官と義兄弟になることは恥ずべきことであった