身の垣とは慎みのことである。慎みは堪忍でなければならない。堪忍は自分に勝ち、仁を求めることである。要するに怒りを抑えて、言葉を慎み悪を避けることである。怒りを忍べば智が明らかになって、仁愛が人に及び身に潤い、温和の徳を得てそして言葉を慎めば智恵が深く。心静かになって憂いがない。悪を避けられれば道として至らないことはない。

 

もしこの垣がないときは四方の敵は一度に攻めてきても防ぎようがない。私というものは盗人が隙間を伺うようなものであるので、ほんのわずかな間でもこの垣を忘れてはならない。

 

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最近やっているアメリカの大統領の候補者討論会を見ているとまさにこれを感じます。いいことを考えているのに、揚げ足取りをしようとして自身の下品さをもろに出してしまっていますよね。アメリカ人はああいうのが好きなんでしょうか。ほんとに下品極まりないです。

 

一方イギリスの政治家のやり取りを見ているのかっこいいですよね。無茶を言っていても、嫌味で帰し、知性のある人はどっちがおバカか知性があるのか分かるようになっています。

 

日本でもいますよね、瞬間湯沸かし的に反応して本当にわけわかんなく、何が本当は言いたかったのか分からなくなるような政治家。あれじゃいざという時に役に立ちませんよ。

 

マスコミもああいうのが視聴率を取れると思っているのか、ああいうやり方を煽りすぎです。実にあほくさいというか。

 

どんなに頭が良くても、瞬間湯沸かし器は全てをぶち壊しますから。瞬間湯沸かし器のほうからすると、言い返さないと自分が負けだと思っているようですね。なので、そういうは相手にしてはいけません。むしろ目撃者を増やした方が勝てますよ。