最近のことではあるが、上京に一人賢い女がいた。若くして死に別れたが、姑に孝行していた。二人の子供に教えていたので、この家は大いに栄えた。ある年の正月元旦に。庭に咲き始めた梅の花を、男も女も家中の人を呼び集めて
「あれを見て。今年の春は、この庭の梅の花がいつもより多く咲いている。お前たちはこの梅の花を見てどう思う。」
ときいた。家の人はみんな揃って
「例年より多く咲いているのは、お家の繁栄になると思います。」
と言った。しかし、この賢女は首を振って言った。
「巧言令色少なきに仁というではないか。花ばかりで実は入らない。私が見るにはそういう事ではない。あの梅を見てみなさい。花は多く咲くとは言っても実になる花は少ないという。花の中でも雨や風や嵐で、落花して散ってしまい、百に一つでも実になるのは希である。世の中の人もそのように人間という形の花が咲いていたとしても、人として成功し、子孫長久となることはできないでしょう。古い歌にも
人多き 人の中にも 人ぞなき 人となせ 人となれ人[1]
と伝わるように、人間の花は咲いても、欲という風にあたり、酒や色ごとという雨にあたり、短気、気まま、奢り、放蕩、不忠、、悋気、吝嗇、秘儀、無礼という嵐に遭って落花して、子孫長久の身を落として滅ぼす人が世の中に多い。」
[1] 弘法大師の歌とされる
ある程度年を取って、小学校の時の同級生と会ってみると、見事にそれを感じますね。小中高と優秀で東大の法学部に入ったものの・・・という人もいれば、ヤンキーが会社を興して成功しているなんてのもいます。恵比寿屋さんは後者みたいにヤンキーではなかったですが、そこそこ出世したほうかもしれません。
駄目かなこの花はと思っても、分からんもんです。