「寝ていないで目を開けて待てというのは、心眼を開いて子供として孝行の家業に目を向け、臣下としては忠義をもって職分に目を向け、夫婦和合して、兄弟仲良く、友人には信用を士農工商の身分に応じて、それぞれがそれぞれの家業に目を向けて端正すれば、待っていようがいなかろうが自然の果報を得て長く栄えるのだ。お前も今後は果報は寝て待てということをよく理解しなさい。」

 

加えて恵比寿は仰った。

 

「果報は練って待てというのだ。これももっとも至極のようだが、全てのことが未熟未練で成就はしない。何事であってもよくよく練って考えれば、自然と上手く行くものだ。だから、心を静かにして行えば、何の過ちもなく不念もなく、程よい状態になり、果報を得ることは間違いない。また、このこの待つという字は見た目では、時が至るのを練り返して、よく練って待つことが重要である。油断して怠るのは悪いことで、時が至らないのに急ぎことを仕損じるのは、みなこの事を疎かにしたことの結果である。ろくに考えずにやってしまうのは、どんなこともこの待という字の堪忍辛抱が直ぐに果報となるだろう。」

 

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基本的に衝動的にやってしまうというのは確かにお勧めしません。ただ、問題は考え過ぎて機会を失うということです。

 

これも熟慮すれば解決できるという考えもありますが、まあ考える時間というのもコストがかかってるということを理解していないと駄目でしょうね。軍では必要な情報が40%集まった状態で動かなければ手遅れになります。公務員の仕事のように確定情報でないと動かないっというようであれば、商売人としては失格です。

 

で、堪忍、辛坊というのも、将来性を見出せると思っていないから堪忍と辛坊が必要なのであって、将来は上手く行くと思っていれば、今実現していないのはそこに至る途中の段階であると考えられるわけでして、そうすれば堪忍、辛坊は不要になります。そう書けばいいのにと思うことはあります。子育てでもそうだと思いますね。

 

一番問題なのは、我慢して堪えて辛抱して、そのうち思考が止まることだと思いますよ。