四人そろって面白いことを言っていたが、最後の一人の老女が言った。今は何とも例えようがなく、素知らぬ顔をしている。
「光陰は屁みたいなものよ。」
というのでみんな驚いて顔を見合わせていると
「光陰は屁みたいというのは、どういうことよ」
というと、この老女が答えた。
「私が若い頃は、身を香らせたく、袖やたもとに匂い袋や掛け香をして滅多矢鱈に匂いをぷんぷんさせてたのは昨日か一昨日ぐらいの感覚だったけど、今となっては婆となってしまい嘆きか悲しんでるのよ。この話のように、若い頃は夢のようでいて、遂に婆や爺になって、荒々しい川よりも荒々しく、少しも油断してはならないのよ。」
元日や 先朝起は し始めたり
元日や またうかうかの はじめなり
この二つの句を大事にして、人は始めるときの心得で、先ず元旦に喜ぶ心は生涯の福寿である。
また引き換えて元旦から、うかうかと暮らすのは、生涯大貧乏につながる。
長生きと福を願はば 働けよ 流る水の 腐らぬを見よ
というのも、手近な道歌である。お前も元旦早々果報は寝て待てと目を閉じずに、早く起きて果報を得なさい。
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油断しているとガス漏れを起こすということと同じように、年を食うということでしょうか。
油断していてもしなくても年は食う物。これが自分の本分だと思っていても、本当にそうなのかも分からんですよ。結果の如何は問わず、ただやり切ったという思いが欲しいというのであれば、それでいいのかも知れません。