子供は母親の腹から出てきて、十五六歳までの間、様々な養育と世話と心労をかけてきたことを忘れず、両親の心に背いてはならない。

『孝経』のなかに、身体髪膚これを父母から頂いたので、損なわないようにするのが孝行の始まりで、体は当然名前も傷つけないことだ。身を立てて道を行い、名を後世に立てて父母を有名にするのは孝の中でも最後のものだ。[1]」と言われている。

 

さて、孝行には五つの種類がある。その中で、平民の孝についていうと、「天の道を用い、地の理屈で説明すると、百姓に春夏秋冬でそれぞれとれる作物があるのと同じだ。商売するにも、季節によって売れるものと売れないものがある。これを考えると、地はその作物に合うものと合わないものがある。商人はその地方によってその土地の風習によって、上手く行く場合と行かない場合がある。このようなよく考えて、それぞれに合わせて合うものを撒く種を変えなさい。その地方に合ったものを送って売るのだ。普段から身を慎み、それを以て父母を養う。これを庶民の孝という。

 


[1] 読み下し分は、『身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」

 

日本は単一民族だの画一的だの同調圧力が強いだとか言いますが、そういう人って本当に世間知らずとしか言いようがありません。

 

この日本語だって、まともに普通に会話ができるようになったのはここ30年経ってませんよ。恵比寿屋さんが最初の赴任地は、あまりにもの訛りがひどく何を言ってるのか全く分からず、3年目にラーメン屋の親父が何を言っているのか分かったときは留学生の辛さがよく分かりました。

 

それどころじゃありません。その土地は共産主義国?と思うくらい売る方が威張っているのです。今もそこで働いている人の話を聞くと、全く変わっておらず悪しき文化として定着しているようです。

 

商品も並んでいるもの、例えば女性もののワンピースにしてもその柄では絶対他所じゃ売れないだろうと思えるようなものが並んでいました。それがその土地では売れるんですよね。逆に、よその地域で売れている商品を持ってきても売れないんですよ。

 

国土の均衡ある発展とか言いますが、こういうのを見るとよそでは外れ者であっても逃げ込む場所としてそういう土地が必要なんだなと思うようにしています。