貧しい者に物を与えるのは悪いことではないが、そこまで善行というほどでもない。貧者は思わぬものを貰うと、怠りが出てきて放蕩するものである。忠孝の者が貧者に物を与えれば、不忠・不篤実の者が羨んで真似ようとするため積徳となる。小谷三思[1]は積極的に忠孝篤行の者に恵むことを彼自身の任務とした。他の事よく分かっていない。忠孝を勧め悪人を諫めるのはこの老人の功績である。この老人の門下生の中には公事訴訟に至った物は誰一人いないという。

 


[1] 小谷三志(おだにさんし)のことか。本名は小谷 庄兵衛(こだに しょうべえ:明和2年12月25日(1766) - 天保12年9月17日(1841))は、日本の宗教家、社会教育家。幕末期に富士講の一派「不二孝(不二道)」を庶民に広めた。

 

34-38がまたトンデモな話になってきたので飛ばします。

 

まるで七福神の布袋さんのような人ですね。布袋さんは、実在の人物で生年不詳 - 917年(?)、唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧だそうです。

 

しかし、貧者にむやみに物を恵むのは私も反対です。本当に生活ができなくて一時しのぎのために支援するのはした方がいいとは思いますが、貰うことが慢性化することは避けるべきです。最近話題の貧困ビジネスにそのままつながってしまいますから。

 

この考え方は二宮金次郎の小田原藩とその飛び地の栃木県の烏山の村落を立て直すにも同じ考え方でした。貰うことに慣れると、能力があるにもかかわらず働かなくなるんですよね。

 

開発途上国がなぜいつまでの開発途上国なのか、これと同じことだと思います。ある人が言っていました。キリスト教文化圏は寄附文化で途上国も支援していると。いや違いますよ。一神教は原罪の文化です。生まれながら罪を背負っているという発想で、そこから逃れるための喜捨と実際に植民地をつくったことへの贖罪いしきでしょうね。そうやって恵む側も恵まれる側も共依存になるのでしょう。

 

実に不健康は話です。