何事でも倹約を守ることが重要な陰徳である。金をケチることではない。あらゆる行動で倹約を守りなさい。例えば、食べきれないのであれば、箸をつけないほうが良い。箸をつけたならだれも食べないので捨てることになり、徳を破ることになる。吞み切れないのであれば、飲まないほうが良い。紙を使い、水を使い、炭を使い、灯りをともすのも無用に使わないように気を付けなさい。

 

しかし、人が勧めるのであればこれに限らない。自分が注意をするのは、必ずこの道理を弁えなさい。

 

昔妙心寺[1]の開祖関山和尚[2]という人がいた。六月の暑い頃、僧侶を四五人連れて琵琶湖のほとりで休んでいたところ、僧侶たちは裸で次々に飛び込み、立ち泳ぎ横泳ぎしていた。和尚は口を漱いで手を洗い、僧侶のやっていることを眺めていた。僧侶たちは自ら上がって、「ああ涼しい」と言っているのを見て苦々しくおっしゃった。

 

「こんなに大きな湖ではあるが、そんなにやりたい放題やったら徳に背くではないか。」

 

これは多く者があっても無駄に使ってはいけないという教えである。

 

またこの和尚が剃髪するとき、ちょっとずつ濡らして剃っていったのでその剃る人にその理由を訊いてみた。その人は次のように答えた。

 

「頭を全て濡らしたところで、すぐに乾いてしまう。無用の水を使わないだけです。剃る所だけを濡らしているのです。」

水を汲むにも人手が必要で、そうでなくても無駄に使わないのが徳というものであるという趣旨だった。

 

この和尚は何事にも倹約して、徳を積もって言ったので、今の時代になっても財政的に裕福である。その他のこの宗派の寺は裕福である。これは和尚の陰徳のお陰である。

 

こういうことから倹約すれば自分一代限りではなく、子孫迄善行の報いを譲り受けて富貴になるのだ。

 


[1] 暦応5年/康永元年(1342年)開山の臨済宗の寺。京都府京都市右京区花園妙心寺町64

[2] 関山慧玄(かんざんえげん:建治3年(1277)- 正平15年/延文5年12月12日(1361))は、鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧。信濃国高井郡の国人領主高梨氏で高梨高家の子とされる。

 

所謂「勿体ない」精神ですね。

 

台湾で接待を受けたとき、あらゆる料理がてんこ盛りで出てきて、誰がこんなに食べるんだ?という状態で出てきました。次々てんこ盛りで出てくるので、もう勘弁してくれと行ったところ、これが台湾の接待のやり方なんだそうです。あれから20年経ったので少しはやり方が変わったかもしれませんが、食いきれなかったものを見たら罪悪感が出ました。

 

ただね、勿体ないはケチと区別がつきにくく、これはあれに使えるかもととっておくとゴミ屋敷になるので、そこも注意したいところです。