貧乏は様々な事への障害になると言われている。『管子』には、「礼儀は豊かであることから生まれてくる。盗賊は貧窮から起こる。」とある。『前漢』に、「飢えと寒さに見舞われたら恥を省みなくなる。」とある。正直な人が貧しければ、心は邪になるものだ。福を祈るにしても、道から外れないように祈れば福はすぐにやってくる。神明の三きね米大黒殿の豆の飯を考えなさい[1]

 

ある人は銭を君主のように敬い、つまみ菜を一文買うにしても銭の前に手をつき、ご苦労ながらしばし汁物の具の代金として御働きいただき下さい。すぐに元の戸棚にお帰り願います。とあがめるほどでなければ富貴にはなれない。

 

次に諸願成就をしてならない。あれが欲しいと買い求めるような心ではどうしようもないというのももっともなことだ。

 

ある所に正直な人がいて、金のなる木をお与えくださいと祈った。桃栗三年柿八年といっても、この木は二十年しないと花は咲かない。仕事を怠る家には育たず、始末が悪い家では枯れてしまう。この木を育てるには、毎朝六つ時掟古い板きれであっても、全て捨てるようなものを拾い集め、木の根には水をかけず、干上がったら足を洗った水を与え、紙きれはためて置き紙くず屋に売却し、その金を期にかけておいて使ってはならない。

 

加えてこの木は魚の匂いを嫌う。イワシ一匹であっても家に持ち込んではならない。酒を家の中に持って来ればこの木に虫がつく。

 


[1] 意味不明。贅沢をするなぐらいの意味か。

 

こういう人いますよね。以前にいたところは、町内会のお祭りに出てくると片っ端から頂いて帰っていく、かと言って町内会の仕事はろくにしない、会費もごねるっていう人がいました。

 

あっちこっちから空き缶とか挙句にはベンチまで持ち帰ってきてましたね。実際に某上場企業の上位10番目に名前が載ってましたし。

 

でもね、こんなに吝(しわ)い=ドケチで、人生を楽しめるんででしょうか。嫌われることに喜びを感じる人?ある意味病気なんでしょう。