この油断ということについては、大いに損得がある。前に書いた通り上根であろうとも、油断という心の括りがほどけては金もうけも思うようにはいかない。隙間ない心こそが、家業の定めで、たとえば金持が貸した金が多く戻ってきて藏に多くあるときは、これではどうしたものかと気弱になって夜も眠れないというのが油断大敵というものだ。

 

結局のところ、家の中の管理、始末に注意して銭一文であっても無駄遣いは駄目であることは勿論、大きい通りに落ちている草履や端切れを拾って寸莎(すさ)[1]としようか考え、みかんの皮を紙に広げためて置き、その他桃の種(桃仁であっても梅仁であっても薬に使うし杏仁も薬に使う)などあらゆるもの使い方を考え、塵と積んで山となる気を付けていれば、必ず余得となる。

 


[1] 土壁に混ぜる繊維状のひび割れ防止の補強材の事。藁、麻、紙などを使った。

 

貸金業であれば、貸し付けに回っていない金があるというのは心配の種です。とはいっても、蔵が空っぽになるまで貸付先を探すというのも問題があります。本当に景気がいいときというのは、銀行にお金が返ってくるときであって、投資にお金が回っている時ではないのです。こういう時に貸し付けても、貸付先が訳の分からない使い道をして、結局バブルにつながっていくんだそうです。

 

ならば、貸金業であっても貸金として回すだけではなく、他の遣い先をしっかり考えておく必要があります。

 

ただ後段の例は今の時代はちょっとね。何かに使えるだろうと段ボールやら、保冷剤やらため込んでも、結局部屋が散らかるだけで全く話になりません。落語に鼻緒のとれた下駄を焚きつけにしなさいといった大店の店主のケチっぷりの話が合った記憶があります。

 

商売だと若干違ってきます。例えば、製鉄所から水素が大量に出てくるのですが、知ってました?それを集めるだけでも、結構いい量になるらしいのですよ。メガソーラーだとか、バイオマスでヤシ殻輸入なんてことをやらなくても、いい感じで省エネができるらしいです。