金銀米銭布を世の中の五宝と呼んで、これ以上重要なものはない。その仲で絵も米を第一とする。その理由はたとえ金銀銭布がいくらあったところで、これらを噛んで命が助かるものではない。だから米の徳の尊いことを思って、一粒たりとも無駄にしてはならない。

今の人が枕を高くして日に三度米を食うのは、このように平和な世の中で有難いご恩によるところだ。

 

また福禄寿の三宝であっても天から人間に授けた宝がある。そうはいっても、質素倹約を守り、正しい道を行くものでないと手に入れられない。なかでも、寿命は天から定めるところではあるが、美食、大酒、多淫によって害を受ける。どんなに福六があっても寿命が短ければ意味がない。唐土の東坡[1]も粗食には三つの利点があると述べており、野菜や根菜類を食べれば百年の命が得られるとおっしゃっている。まさに、美食は寿命の害となり、ましてや大酒や多淫となれば。

 


[1] 東坡(とうば)は蘇軾(そ しょく、1036ー1101)のこと。支那北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。東坡は雅号。

 

これを書いていて米恩録を思い出しました。

 

 

半導体がどうの、車がどうのといっても、結局のところ飯が食えなくなれば人は死にますから。食料安全保障はしっかり考えなければなりません。