ただし、人によってはどうしようもない義理や順義[1]もしないのが倹約と思うのは大きな思い違いである。倹約とは身の程を知って派手なことへの支出を抑えやるべきことをやって、返礼すべきことは返礼し、義理や順義を欠かないことが倹約であって、俗に始末といい現銀にすることは即ち倹約である。但し年中全て現銀にしなければならないと思えば退屈なこともあるが、ただその日々を一日暮らす気になって全て現銀で暮らしていけば退屈な事にもならない。

 

北山壽安[2]が一日の暮らし方について「今日一日の勤めだと思えばどんな苦しいことも耐えられないことはないだろう。また楽しみも今日一日と思えば耽ることもないだろう。君主に忠をするのも親に孝行するのも今日一日と思って勤め、日々このように考えて一日暮らせば一生涯退屈することはないだろう」と書いているが、それは実に尤もなことである。

 

現銀で生活するのもこの考えに従って入れはそんなに難し話ではないだろう。今日から明日のことを心配して、今年に来年のことを考えるのは余計なことで精神がつかれるだけである。却ってその年の怠りになるので、明日の事は明日の事、来年の事は来年の事として、日々現銀で暮らすのがよい。

 


[1] 世間への勤めのこと。

[2] ?-1701 江戸時代前期の医師。

 

ら物を考えるのも現銀主義というのは大いなる過ちだと思います。目の前のことしか見ないというのは、グレシャムの意思決定の法則と言って、やってはいけない典型例の事です。さもないと同じ失敗を繰り返すことになります。

 

よく日本人は、「この先景気はどうなりますかね」という人が多いですが、馬鹿か!と言いたくなる衝動にかられます。「どうなるか」ではなく「どうするのか」です。「そんなことを言ったって、将来の事なんかわからないじゃないか!」と言い出す人がいます。

 

将来は与えられるものではなく、勝ち取るんだという感覚がなければやられ放題、他人のせいにして生きることになります。だから景気が悪くなるんです。政府が無策だ、政治家が悪い・・・それを言って何か解決しますか?目の前の事ばかりやって、思考停止になって忙しいと言い続けるのが理想の生き方ですか?