村内に米穀金銀を蓄え自由に使える人がいることは、良し悪しである。百姓のうち病気や巡り合わせが悪くて貧乏人を憐れんで、生活費や米を取り換えて徐々に財産を蓄えて高利を取らず支援してやり、ともに生活していこうと世話を焼いてやる者は村内の宝である。さらにそういう者は上様への忠勤と天道の冥利に適う。

 

また、百姓のなかで病気や巡り合わせで貧乏なものが持っている田畑家財を質にとり、米穀金銀高利を貸して、こういう者たちを破産させ田畑や家財を自分のものにしようと、以前から目論んで表向きには情けで金を貸してやるような態度で、心の中ではその人が破産するのを喜んでいる者は、神明もこういうのを嫌って天道に合わない。

 

このように村内の百姓は必ずしも一様ではないし、上様のためにもならない。常に真実にありたいものだ。

 

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先日の続き、結局のところ庄屋さんは事実上民生委員とほぼ同じ役割を果たしています。

 

ここで出てくる金の貸し借りは、基本的には頼母子講(たのもしこう)、あるいは講(こう)、沖縄ではモヤイと呼ばれるグループを作り、そこで毎月いくらかの積立金を用意します。本来は寺社仏閣へのお参りの積み立てとして始まったのですが、そのうち病気で行けない人のためや、一時的に少額の範囲で借りる金融機関になっていきます。これは、今の信用組合に姿が変わっています。

 

大抵の借り入れはこれで間に合うのですが、それでも足りないとなると高利貸しから借りることになります。この当時は、種代であれば年利100%の利子、一般の利子は10%弱が相場だったそうです。この頼母子講にお金が集まることに目を付けた大名が借りることもあったようです。その場合は年利20%でした。これが大名貸しと呼ばれるもので、どうせ返してもらえないなら少しでも回収しようとしたのがこの金利だったそうです。

 

村内でも貸付はあったようですが、大体この位の利子の範囲だったようです。

 

中には廓に通ったり、博打でというのもいたようですが、そんなのに貸したら連帯責任を問われそうなので、今のような闇金から借りるようになっていたそうです。