天地は途切れることなく万物を愛し養っている。その無限の恵みを受けて、人は夜寝て昼は天地のものを使い、無駄に年月を過ごすのは恐ろしいことである。無益なことをして時間を過ごすことなく少しの間も暇を惜しみなさい。

 

光陰矢の如く時間は過ぎるのが早いので、若いからといって機会を失うようなことがあってはならない。今年の今日という日は二度と戻ってこないのであるから、間違っても無駄な時間を過ごしてはならない。それには、父母に仕える孝信を第一に考え、勤め励んで善事を弁えて行動すれば、それが僅かであっても天地の御心に適うものだと思いなさい。

 

学問というのは自分の身を改めるために学ぶものではあるが、その家があまりにも忙しく学ぶ時間がない人のために、聖人がこれまで教えてきた数多くの教えのうちほんのわずかだがここに書きつけて、名付けて『百姓話訓』とした。

 

私と同じ考えの人がこの本の誤りを訂正してくれて、人に諭していただければ、私の本望である。

 

甲寅[1]正月  吉本伍篤謹作

 


[1] 巻末には天保13年とあるので、嘉永7年に序文が後からつけた可能性がある。

 

この吉本さんはどなたか分かりませんでしたが、読んでいてすっと頭に入るようなきれいな文章でした。

 

光陰矢の如しとは言いますが、これを深刻に感じるようになるのは恐らく40歳過ぎぐらいでしょうか。あれをやりたいこれをやりたいと希望はいっぱいありますが、40歳も半ばを過ぎると老眼が入り本を読む速度も落ち、徹夜もできなくなり、今まで1時間で出来る仕事が1時間5分と徐々に長くなり、一方で1日の時間は変わらず・・・

 

「これがやりたい」と思った時がやり時ですよ。いつかきっとは、先延ばしになるだけです。勿論道徳的な範囲でお願いします。

 

ある人が定年退職して誰もが嫌がる仕事に就きました。彼が言った言葉は、「20代の1年は1/20の価値がある、60代になれば1/60である。同じ時間を生きていながら、年齢によって価値は違うんですよ。」だから、価値がなくなった時間は人が嫌がるでも必要な職業に就くことにしたんだそうです。