町人如きが言うのは、手形や帳面ばかりで、本当の財産を言うものではない。この手形帳面などのことだけであり、大きな話ではない。よく工夫してみなさい。大名や身分の高い人は、金銀を藏につむのを重視するが、町人や百姓は身分は下なので、たとえ金があっても藏に積み上げることもできない。互いに人を助け合って金を世の中に回すことを宝とする。こういう事であるから、稼げば稼ぐほど、人に貸して利子を取るか、あるいは家屋敷田畑を買って人に貸して家賃を取り、あるいは作物を作るか、こういうのが百姓町人のすべきことである。

 

金銀田んぼや土地は皆、君主の持ちものであり、その下で暮らす民は上からの依頼で守るものであり、本当の意味での金銀や土地の所有者となることはできない。

 

だから、富貴は天にありという言葉は、われら庶民のための言葉ではないことを理解しなさい。

 

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この辺りは今と社会構造が違うので解説します。土地は原則自由売買ができず、したがって所有権がありませんでした。畑や田圃は、借金のカタに取られることはありました。このときは、賃貸料を払って耕作することになります。一種の小作人みたいなもんです。

 

ですが、金が溜まると売り渡しても買い戻す権利が当然のようにありました。今と所有権の感覚が全然違うのです。

 

というか、今の日本の土地の所有権というのも世界的にみて異常なことで、通常公共の福祉に反しない範囲で利用が認められる権利ぐらいの感覚なので、土地収用でこんなにもめるのは日本ぐらいなもんです。天保の改革のあたりだったと記憶していますが、今のような土地の私有制に近くなったと言われています。

 

本題に戻すと、要するに「庶民がああだこうだと生活に必要な金を稼ぐぐらいのことで、他人のせいにするなよ。自分でしっかり稼げよ。」という言葉でまとめられそうです。