「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず[1]」と孟子は仰っている。天の時というのは、人々が運を開くべき時のことを言う。春に花が咲き、秋に実るのも同じ天の時である。喩え、天の時を得たからと言って、地に利がなければ、人も立身しにくく、草木も成長して花や実を得られない。だから天の時がいつ来るかを考えるよりも、地の利を知ることが重要である。

 

例えていうならば、辺鄙な畑の中の小里に住んで商売をして、天の時を得て小利を得ると言っても、大きな結果にはつながらない。いわゆる三大都市に店を出す大商人が天運に載るとあっという間に天下に知られる大金持ちになる。これを地の利というものだ。だから、立身を望むものは、その家業をよく選ぶべきだ。その商いの良し悪しを知ることで、その立身出世に違いが出る。

 


[1] 原文は、『孟子』の「公孫丑・下」の「天時不如地利、地利不如人和」。いくら運勢がいい時でも、地形の有利さにはかなわない。地形の有利さも、人々の心が一つになっていることにはかなわない、の意味。

 

普段から準備していなければ、チャンス到来があっても何にも手に入りません。恵比寿屋さんも、投資のチャンスがあったのですが、当時はサラリーマンで本当に金がなくて金を出せませんでした。出していたら年利50%で回るような案件だったのですが。レバタラ(証券用語では〇〇していれば、××だったらの意味)を言っての仕方ないのですが、何度もその状態になり悔しい思いを何度もしました。

 

でもですね、その思いが強すぎると別の問題は出てきます。利益を得たいのか、そのものが欲しいのかが分からなくなってきます。学生の頃からサラリーマン生活約20年の間、延々と家賃を払い続けてきたのですが、とんでもなく無駄な出費に思えていました。もし自分が貸し家を持っていれば、この無駄が自分に入ってくると。

 

でも、最初に買った貸し家が高すぎたのですよ。つまり、地の利を生かせる状態じゃなかったのです。貪すれば貧するとはよく言ったもので、失敗してから勉強しました。そういう投資なのか無駄遣いなのか。充分に注意して、地の利を高めて天の時を待ちましょう。焦るとお荷物を抱え込むことになりますよ。