この貧困は誰のせいだ?ウクライナの人たちのでしょうか。確かにそうですね。ウクライナ当局が、何世代にもわたって積み上げてきた成果を無駄にしたのです。ウクライナの人々がいかに勤勉で優秀であるかは、私たちもよく知っています。彼らは、粘り強く成功を収め、優れた結果を出すことができます。そして、これらの資質だけでなく、オープンさ、自然な楽観性、ホスピタリティも消えてはいないのです。私たちがウクライナに対してそうであるように、ロシアに対して良くするだけでなく、大きな愛情をもって接している何百万人もの人々の気持ちは変わりません。

2014年以前は、何百もの協定や共同プロジェクトが、両国の経済、ビジネス、文化の関係の発展、安全保障の強化、共通の社会問題や環境問題の解決に取り組んできました。ロシアとウクライナの両国で、人々に具体的な利益をもたらしたのです。それが、私たちが最も重要視していたことです。だからこそ、私たちはウクライナのすべての指導者たちと、強調したいのですが、実りある交流をすることができたのです。

2014年のキエフでの有名な出来事[1]の後も、私はロシア政府に対して、経済的な関係を維持・支援するために、ライン省庁を通じたコンタクトのオプションを検討するように指示を出しました。しかし、昔も今も、そのような相互の思いはない。しかし、ロシアは今でもウクライナの貿易相手国トップ3の一つであり、何十万人ものウクライナ人がここに来て働き、彼らの歓迎と支援を得ています。そんな「侵略国」。

ソ連が崩壊したとき、ロシアとウクライナの多くの人々は、私たちの文化的、精神的、経済的な密接なつながりが続くと心から信じ、いつも芯でつながっていると感じていた人々が一つであり続けることを信じました。しかし、事態は、最初は静かに、そして次第に急速に、別の方向へと進展し始めた。

要するに、ウクライナのエリートたちは、国境の問題を除いて、過去を否定することで、自国の独立を正当化しようと考えたのだ。彼らは歴史を神話化して書き換え、私たちを結びつけるものをすべて消し去り、ウクライナがロシア帝国とソビエト連邦の一部であった時代を占領として語り始めたのです。30年代前半の集団化と飢饉[2]という共通の悲劇を、ウクライナ人の大虐殺として提示すること。

 

過激派やネオナチは公然と、ますます図々しくその野望を宣言した。彼らは当局と地元のオリガルヒの両方から甘やかされ、ウクライナの人々から盗んだ金を西側の銀行に保管し、自分たちの資本を維持するために祖国を売る用意があるのだ。それに加えて、国家機関の慢性的な弱さ、誰かの地政学的な意思の自発的な人質という立場が加わればいい。

 

思い出していただきたいのは、2014年よりもずっと前、アメリカやEU諸国がウクライナに対して、ロシアとの経済協力の縮小や制限を組織的かつ執拗に迫ったということです。我々は、ウクライナの最大の貿易・経済パートナーとして、ウクライナ・ロシア・EUのフォーマットで新たな問題を議論することを提案した。しかし、その都度、「ロシアは関係ない、EUとウクライナだけの問題だ」と言われました。事実上の西側諸国は、ロシアの度重なる対話の提案を拒否している。

 


[1] 2014年ウクライナ騒乱のこと。首都キエフで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアへ亡命することになった。これがウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合と親露派武装勢力によるドンバス地方に於ける戦争の勃発をはじめ、クリミア危機・ウクライナ東部紛争へとつながっていった。

[2] ウクライナがホロドモールと呼んでいる人工的に起こされた飢餓と五か年計画による農民徴用により多数の死者が出たことと思われる。

 

プーチンからすると、これまでずっとロシアに経済支援を求めてきた、経済的にろくでもない状態だから、お前たちウクライナを救ってやるという感じでしょうか。

ウクライナのナチというのは、ホロドモールで散々な目に遭ったので反共産主義であったナチに助けを求めた経緯があります。結局両方からやられることになりますが、それでもまだナチの方がマシだという感覚がまだあるようです。

一層のことプーチンをスターリン主義者呼ばわりしてやれば?と思うかもしれませんが、ロシア人にとってイワン雷帝とスターリンは困ったことに英雄扱いらしいのです。

まるで三国志の英雄とやらが人を殺害してあっはっはと笑うかのような豪快さを持った人が、細かく論理だてるより大雑把にやる方が好まれる傾向にあるのです。