極めて徳を失う行為と言われている。また、ネズミを捕る猫は爪を隠すとも言われている。ともに、知らないことをあたかも知っているかのような顔をして、あるいは四書の素読で『詩経』の一巻を読んだぐらいでそれを身に着けたわけでもないのに、ちょっとずつの聞き覚え、それを言葉の端々に入れて人に対して物を言うネタにする。会話の端々で古い名言を入れて人を閉口させるのもいる。中には町人なのにそんなことをするのは大いに問題だ。こんなのは商売の邪魔でしかない。

 

たとえ町人であっては知識を大量に仕入れても役に立たないものだ。全て儒者の儒者臭い、医者の医者臭い、坊主の坊主臭いのを嫌うものだ。ましてや町人の身分でならばなおさらのことである。

 

ただ、売買のことで会話をしながら余力がある中で学問をすれば、その知識は心の中に止めておくべきことである。こういう知識を表に出してちょっとした商売でもそういう知識をひけらかして、町内会でも物知り顔をするのは、人から嫌われるものだ。

 

こういうのは悪いことばかりではないが、そもそも商人の身分であることから、その職と関係ないところで言うのであれば、物知りっぽく見えるものである。物知りらしいことを言うのは、人は嫌うものだ。文盲は多く、学問を好む人は少ないから慎むべきである。

 

こういうのが良いと思うと癖になって、ちょっとしたことで言ってみても最終的にはきらわれて、後には人と出会わなくなり家に来ることも無くなり、次第に取引も無くなり家は衰えていくものだと理解して慎みなさい。

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こういう人いますね。「そんなことも知らないのか!」といって、人を小ばかにしてマウンティングを取る人って。持っているものだけでなく知識でそういうことをやる人って、近くにいても嫌なものです。大学の同期にそういうのがいましたが、聞きかじりの法律知識で断罪してみたり、ととにかく話が長い。

 

最初は学校の先生になろうとしていたようですが、さすがに教育委員会もすぐに本質を見抜いたのでしょう。数年浪人しながら不動産屋勤務していましたが、そのまま専業の不動産屋になっていました。不動産屋は何回も同じところを使う人はいないので、どんなに客に嫌われようとそのままでも商売は出来ますが、通常の商売、嫌商売限らずどんな職業でもこういうのをやったら嫌われます。

 

本文をみて「緑のタヌキ」を真っ先に思い出しましたが、私だけですかね。中途半端なカタカナ英語を出して、本質を分かりにくくして。