一如上人は

 

「道無の話は色々ありますが、物を書くのは金の力ではどうしようもありませんよ。」

 

道無は

 

「どんなことでもいけますよ。女院の御所[1]賤しい仕事をしている下僕がいます。どの人には三人の子供がいます。兄はその賤しい仕事を継いでおりますが、女院御所の仕事をしているので、あちらこちらから商人がやってきて、賄賂が年々増えて金持ちになり、この下部の子供である喜之介は金のお陰で堂上方[2]に混じって物をよく書きます。弟の小二郎を禁中[3]の取り替え衆にしました。姉を竹田の里[4]の長に嫁がせ、跡継ぎの喜之介は位ある人と付き合うようになり、やがて知らぬ間に名字を名乗るようになりました。全て金の浮世ですから、この喜之介は字が上手いということで身分の上下関係なく評判になり天皇の耳に入ることになりました。身分の高い人からお声がかかり、禁中の御用で物を書くようになりました。京や鎌倉の田舎にどれだけ字が上手い人がいても、金がなければ名前さえ知られません。

 

一如上人は

 

「これは聞いたことがありますが、それぞれの細工の上手さについては、金があってもどうしようもないでしょう。」

 

道無は、

 

「それは簡単なことです。みな貧しい細工人で上手な人を、例の金で厚遇すればどうですか。大名や富豪の望みに従っていれば、大名や金持ちはこれに気づかないでしょう。家老以下走ったところで、あの下手な金持ちの細工人が、金の盃を差し出せばどんな家老や役人も酔うこともなく、あれば類を見ないほど上手だと言うでしょうよ。みんな金のお陰ですよ」

 

一如上人は道無の言葉は素晴らしいと思った。

 

「道無の言葉は皆金銀になってしまうね。」

 

「その金になってしまうねとはどういう事かね」

 

道無は

 

「今上人のおっしゃった言葉に、これは金言だねとおっしゃったことです。」

 

それはそうだなと一同は笑った。

 


[1] 女院御所とは、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(大宮御所)のこと。

[2] 殿上人と同義。

[3] 宮中

[4] 現在の京都市伏見区の地名か

 

今だったらマーケティングの勝利と言ったところでしょうか。もっとも、金を遣わずに宣伝をするところにマーケティングの妙味があるのですが。