「世の中には誠と実義より尊いものがあるものか。仁の心を宝とするのも、みなこの誠のことだぞ。世の中の人はこの誠の尊さを理解せず、金銀だけが尊いと思っているのは実に愚かだ。誠ほど明確なものない。誠実なものは謙遜し無欲で心優しい。誠実でないものは知恵がなく欲だけで、威張って心は安らかではない。大工は威張ってみても、木がなければ仕事はできない。材木はあっても道具がなければどうしようというのか。頭が尊いからと言って足がなければ立てず、手が自由であっても耳や口の代わりはできない。目は千里を見る音ができてもへその代わりにはならない。全てのものにそれぞれの一徳一失があるものだ。その中で、頭は頭としての誠実さを守り、手は手の誠を守り、足は足の位で誠があれば、体は和合して治まるのだ。

 

主人は主人の誠を行い、親は親の誠を行い、家来は家来の誠を、子は子の、夫は夫の、妻は妻の、兄弟や友人たちとはそれぞれの誠を行なえば、神に祈らなくても神仏聖賢も深く恵んでくれるだろう。

 

金銀はこれからは、不義、非道、私欲、身勝手に従わず、寝ても覚めても誠にしたがいなさい。これに背けば天罰がすぐに当たるだろう。」

 

と日月の大きな声がした。

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この発想が仏教的かもしれません。衆生の恩の発想で、どんな立場にいる人もきちんと役割があって、上に立つものが全てを持って行ってしまうのが当たり前、上に立つのだから何をやっても許されると考える文化はあるのですよ。アダム・スミスの「道徳感情論」を読むとこんな世界に生まれなくてよかったと思えてきます。

 

ところで、最近は多様性とやらで、「○○らしさ」は否定すべき言葉のようですね。自分で納得してそうするのであれば、勝手にどうぞと思いますが、それを「間違っている」と堂々と言ってくる輩がいます。自分でかっこいい事を言っていると思い込んでいるようですが、新入社員が社長のような態度をとったり、社長が率先して営業に言ったりすることはどうしようもないアホがやることです。

 

まずは自分の職分をきちんと理解しましょう。夫は妻の代わりに家事をすることはできても、全てのことはできません。妻も夫の代わりを完全にすることはできません。そこをよく弁えることです。