尊さのあまりに、回らない肘を三つ持って日の力を借りて筆をとったが、今後我が家の教えになればと願うのみである。

農家は多くの穀類を作り、酒屋は酒を造り、本屋の家に産まれ本を作ることは珍しいことであるが、前の戌年の夏に起きた近江の洪水で父母の故郷に訪れ、それほどのこと実はなっていないことを喜んだ。だがその途中の田畑家などが流された状態を見て、心に沸いてきたもの書き留めてきた。さて、その後であるが去年の豊作を喜んで、また筆をとることにした。

 

文化元年[1]甲子正月

 

 


[1] 西暦1804年

 

悲しいことに、この後文化文政のいわゆる化政文化によって町人が贅沢に慣れてしまいます。さらにその30後の天保年間にはあの有名な7年以上も続いた天保の大飢饉が始まります。

 

世代が変わると餓死者が出たような大飢饉は忘れられ、忘れた頃にやってくるのです。

 

食糧とエネルギーは国防です。もっと真剣に我々個人個人が取り組んでいきたいものです。

 

これで『米恩録』は終了です。