この物語は前作の『我津江』という草紙に書き洩らしたことを、工商の知り合いの子弟が身を修め、家を保つ助けにしたいと言われて、出版することになった。
安永六年[1]酉年六月 堵庵
六角通御幸町西入町[2] 小川多左衛門
二条通鉄屋町東入町[3] 山本長兵衛
烏丸通松原下ル町[4] 鈴木新平
海老屋弥兵衛
[1] 西暦1777年
[2] 現在の京都市中京区六角通御幸町西入町
[3] 現在の京都市中京区六角通麩屋町東入町
[4] 現在の京都市下京区烏丸通松原下ル町
最初は大上段に構えて始まりましたが、基本的には跡継ぎになろうとする人、この当時ですから14歳ぐらいの元服仕立てぐらいの人におやじの小言を聞いておけという感じだったようです。
今でいう青年商工会議所というかそんな感じの寄り合いで、書くことになったのでしょうか。
ということで、身体直しはこれで終了です。次回からは『貧富裸記』(作者不明)です。