他人と利益を争ってとろうとするときは、自分ひとりで世界中の人を相手にして首引きをするのと似ている。どれほどの大力であろうと、一人で世界中を相手に勝てるわけがない。金を貪れば人は更に貪るものだよ。だから、生活を再興させて家を建て直したければ世の中と仲良くするのが一番良いだろう。特に商人は売り手にも買い手にも疎まれるようではどうしようもない。貪欲から離れれば、売り買いともに憐れんで引き立ててくれるものだ。これは前に言った財散ずれば民集まるようなもので、貪らされば財を散するのと同じだよ。だから、売り買いを繰り返す人は民が集まるのと似たようなものだろう。大小の違いはあるとは言うが、道理は同じだ。世の中で生活が苦しくなったのを再興するのを、身体直しという.このことは大きな理由がある。身体の二文字をよく見てみなさい。家の基本は身にある。身体とは自分の体のことだ。これは亭主の体を直せば、生活は問題なく先祖の家も保つということだ。」

 

『孝経』に「身を立てて道を行って、名を後世にあげることでかなう[1]」とあり、『大学』には「身を修めれば、後から家は整う[2]」とある。ものことには必ず原因と結果がある。身は原因である。だから、『中庸』にも「善を明らかにしなければ、身が誠にならない」という。

 


[1] 『孝経』の「開宗明義」の一文。

[2] 『大学』の「礼記」の一文。

 

キリスト教世界では15世紀ぐらいまでは、商人は強欲の極悪人として扱われていたようです。もっとも、プロテスタントが普及するにつれて、だからどうしたみたいな雰囲気になっていったようです。イスラムの場合は、最初から商売は適正にかつ嘘をつかない商売であれば、利益をとってよい。そのためには契約をしっかりしなさいという教えだそうです。アッラーの言行録であるハディースの日本語訳が入手出来てないので、この辺はどうなっているのか分かりませんが。