私がまだ若かったころ南都[1]に知り合いの老人がいた。何事にも不満なく楽しく暮らしていた。この老人がどこの神社仏閣も参詣しても、ただ天下泰平国土安穏とだけ唱えて、ほかのことは全く願わなかった。何人かの人が小馬鹿にして、「あの老人はなんと家内安全は要らないんだと。過ぎたことを願うならまだしも。」と言ったが、その理由を聞く者は誰もいなかった。

私はその老人に向かって、

「あなたは普段の生活は非常に楽しく見えますがどうしてですか。」

と尋ねた。老人はこれに答えて

「そうか、ならば答えよう。世の中に何も思うことはない。僅かにも生活で気遣いせずに済んでいる。着たければ着て、食いたければ食い、寝たければ寝る。雨露に濡れることもなく身も心も気楽に暮らしているからだよ。」

という。私は更に

「なぜあなたは家内安全を祈らずに、どこに参詣しても天下泰平をお祈りするのはなぜですか。」

老人は答えて言った。

「あなたは若いから昔のことを知らない。だから疑問に思うのは当然だ。その理由を語りましょう。世の中で恐ろしいのは乱世なのです。私が幼いとき手を引かれ、あるいは抱かれてたびたび東山中に逃げたとき、その恐ろしかったことも見てすぐに理解した。その当時は、男女ともみな神仏に他のことを祈る人はいなかった。皆天下泰平だけを祈った。だから自分も子供の時から父母がいいかせてこう言ったのだよ。有難いことに今その願いが叶って泰平のありがたさを思えば、他に祈願することがない。だから楽しく暮らすのだ。あなたもそのうち他のことを言わず、このように泰平を祈るようになるだろう。」

このように誰もがこの老人のように、泰平のありがたいことを思えば、今日の大安楽を有難く喜んで暮らし、神の御加護もあるだろう。

山谷が言うには、

「欲が少ない者は絶えることのない家である。足ることを知って極楽の国となるのだ。」

今日の平和を楽しめば、何を他に求めようか。他の求めはみなこれを贅沢に過ぎて奢り「という病だと理解しなさい。

『徒然草』にも、「飢えず、寒くもなく、雨露に濡れず、病気の時は医者に診てもらい、こういうことが豊である。」という考えに同意しなさい。

今の人は、この四つは揃っている。きちんと働いていれば世間に頭を下げて助けを求めるようなこともなく、衣食住は足りるはずだ。医師はだいたい町ごとにおり、病気の心配もない。ならばこれに何の不満があろうか。これ以上の願いを求めるならば、最後には神の御加護も尽きてしまうだろう。恐れて慎みなさい。

 


[1] 奈良のこと。

 

日本人の経済が発展しない理由は、日本人が無欲だからという説があります。

 

日本人の勝算人口減少×高齢化×資本主義

 

この本によると、日本が失われた20年の原因は清貧だのなんだのと無欲を美徳としていたからではないかと書かれていました。

おっしゃる通り。心学では強欲になることを戒めています。ですが、今の日本は極端になってしまいました。ワクワクすることすらしないようになってしまっているのはどうなんでしょう。

私は経済成長至上主義ではありませんが、ここまで無欲になると国の維持ができなくなるような気がします。