あるところに従業員が三十人もいる商人がいた。普段から心得の良い男ではあるのだが、不幸にも三十四か五歳で死んでしまった。その男が書き残した遺書を読んでみると、たった五か条である。ほかの家には役に立たないことはこれを略した。

まずその一か条では、世の中の幼い子供を持つ後家さんは家が混乱することが多い。これはひとえに男女の淫乱が原因だ。だから家を治めようと思うのであれば、男女の行儀をよくしなさい。女は貞節を守るだけで、他の事は一家手代のいう一統正路の考えに任せなさい。どんなことであっても表のことは少しのことであって女が指示するときは、牝鶏が朝に鳴いたといってすぐに家を亡ぼすことになるだろう。もちろん世間には卑しい心をもった者が多いので、このような事の後はいろいろ噂をするものだ。その疑いが混乱の原因となる。

疑いを受けるというのは、実際にはないことについてではあるが、紛らわしいことがなければ疑われない。となれば、疑われるのはそれぞれに慎みがないからだ。きっちりと慎んでいればどうして疑われることがあるだろうか。家が治まるのも乱れるのは今も昔もこれ一つが原因である。深く慎みなさい。

その二であるが、どんなことであっても自分の欲を前に出さずに仲良くよく相談したうえで、道理に背くことがないようにして、一家の中だけでなく懇意にしている人までも、得心があるように取り計らいなさい。看坊人[1]を一人差し向けることは非常によくない。皆心を合わせて、主人が生きているような気持ちでしっかり相談して、正直に決めることが重要である。

三番目に、番頭が宿這入するとき、引き留めるのは宜しくない。その一方で、無禄のままで引き留めるのも場合によっては必要なことではあるが、大変心得が難しいことである。当然引き留めなければならないようにして、宿這入させることが本来あるべきことである。これは人を損なわない技である。まずは宿這入する年頃になった者については、滞りなく別宅させてやるべきだ。それぞれの人の思いを推察して、言ってやりなさい。

この三か条をよく守り、幼い子を取り立てて繁盛させて、家の中は汚らわしいこともなく世の中から批判されることもなく、人も損なわず、よく治まればめでたいことだ。

私はこれを見てよく考えてみると、昔世の中を治めるにも、善法を立てるしか方法がないと昔の人はおっしゃっている。こういう小さなことであっても、家の規則がよければ良い兆候が見られる。

 


[1] 禅宗の寺での後見人のこと。

 

嫁入りしてきた女性が、夫の死後に引き継ぐと失敗しやすいということですね。

普段からどうかかわってきたかにもよるかと思いますが、ほとんど主婦状態からいきなりやると確かに失敗します。かといって、夫の部下に任せていたのでは乗っ取られる可能性もあります。だからよく相談してということなのでしょう。

おそらくここで言っている相談は、意見の交換ではなく十分コミュニケーションをとりなさいということでしょう。ここでも男性と女性のコミュニケーションの取り方がかなり違うので充分注意する必要があります。