「また他人の金をかすめ取れば天罰を受けるでしょう。先祖から受け継いだ金を隠しておいたとしても天罰を受けることになるのでしょうか。」

「先祖から伝わる金であっても、隠しておくのは天道に背くことなのです。つまり、千両を日々取引に使う場合は、何千という人たちに利益となる天下のお宝を庶民の身でありながら商人の利益を得る取引を妨害し、職人がきちんと仕事をせず家業を怠るのは王侯をはじめ身分の高い人の御用に役立たず、その罪は莫大なものなのです。だから、昔報光寺と最勝園寺の二代の相州に仕えて家来が多く抱えていた青砥左衛門藤綱という人がいました[1]。数十か所の所領があって財宝を多く持っていましたが、衣装は細布の直垂に布の大口、おかずは塩漬けと魚一匹以上は食べませんでした。出仕するときは、木の鞘巻きの刀を差し、木刀を持っていましたが、爵位をいただいた後はこの太刀に弦袋をつけていました。こんな感じで自分のことについてはいささかも贅沢をすることなく、公のことにつては多額の資金を惜しまず出して、また飢えた乞食や疲れた訴訟人を見ると、その身分に応じて、米代を出してやったり生活を支援してやりました。

ある夜の勤務の時に、いつも財布に持ち歩いている銭を、十文ほど川に落としてしまいました。大したことでないので諦めて通り過ぎていい話ではあるが、部下を近くの民かに走らせて銭五十問で松明を十ほど買ってこさせました。これを使って十文の銭を取り戻したのです。後日、十文の銭を取り戻すために五十文の松明を使うのは、わずかな金を多額の費用をかけるなんてと笑ったのです。すると青砥左衛門は眉をひそめて言ったのです。あなた方は愚かですな。世の中の無駄を理解していません。民を恵んでやる気持ちがないようですな。銭十文を今手に入れなければ、滑川の底に沈んで長くは出てこないでしょう。私が買った五十文の銭は商人の家に長く置かれて、長く失われることはありません。私が払った金は、商人の利益なのです。彼と私とに何の違いがあろうか。こうやって六十文の銭を失いません。これがどうして天下の利益にならないのでしょうか。

一言嫌味を言われて、こうやって笑っている方々はなるほどと思ったと伝えられています。青砥左衛門はわずか十文の銭が滑川の底に沈んでしまったことを悲しんだのです。ましてや、千両を隠しておいて、天下万民の取引を妨げるのであれば、天罰受けるのは疑いもないことなのです。」

 


[1] 『太平記』巻35に出てくる。

心学には青砥左衛門の話はたびたび出てきます。

今でいうならば、大企業が抱え込んでいる内部留保ですかね。会社法の趣旨からいえば、会社は出資者に配当を出すことが目的なので、さっさと株主に払えよ、そうでなければ従業員の賞与か新たな投資に使いなさいと言ったところでしょうか。

確かに不景気が長かったから、不安なのはわかりますけどね。大企業がそろって不安になって出し渋りをすれば、日本経済にどれだけ影響が出るやら、ちょっとは考えてください。