「同じ金のなかでも、金銀が尊く、鉄、鉛、銅[1]は劣っていて賤しいので、受け取った鉄や銅の類は持っていても心配はないですが、金銀を持っていると、必ず心配になり居心地が悪いのですが、これはどうしてなのでしょうか。」

「優れたものを持っていると、心配になる理由を喩えで話しましょう。ここの人がいるとしましょう。類を見ないほどの美人の娘がいて俗世から離して養っておりました。日夜気遣いが絶えることがありませんでした。それはなぜか。その娘の美貌が良すぎたため、見た人が心を奪われ、東隣の家の塀を乗り越えて強引に妻を得よう[2]とする若者が多ければ、父母の心配は限りないものになるだろう。もし、その娘が不細工で、品が悪ければ母親でさえもそれ心配しないだろう。そんな感じで金銀をもっていれば心配が多く、鉄や銅の銭であればそれほど心配はしないことはこれでわかるでしょう。そうではあっても、金銀美女だけの話ではない。名刀や名馬その他の武具や馬具、外国から来た調度品の類、およそ何であってもそうだが世の中で珍しいものを自分の身分の度を過ぎて持つ人は、必ずその身に災いが起こるものだ。あの馮外郎の妻に立派な細工のかんざしに七十万銭を払って与えた。するとほどなくして災いを受けて『柳氏家訓』に出ている。『徒然草』にも、人は自分の行動にはつつましさをもって、奢りをせず宝を持たず、貪らずないのがよいだろうとある。昔から賢い人が富むのは稀である。唐土の許由[3]という人は大した資産もなく、水を手を使って飲んでいるのを見てヒョウタンを人が与えた。あるとき木の枝にかけて置いたら風に吹かれて音を出したのをうるさいと言って捨てた。そうやって、両手で水をすくって飲んだ。どれだけ気楽であったろうか。孫震[4]は冬の時期に襖すらなくわら一掴みで、生活していた。唐土の人はこれを素晴らしいと思ったからこれを記録に残したのだろう。これらの人は、語り伝えてはならないと言った。許由はたった一つのヒョウタンが鳴ったというだけで言ったので、言うまでもなく金銀財宝どれだけ疎ましく思ったであろうか。こんな喧しいもの、朝晩貪るのはなんと愚かなことであろうか。」

 


[1] 寛永通宝はほとんど銅でできているが、鉄で作られたものもある。仙台通宝や箱館通宝など地方通貨で鉄のものもある。鉛の私鋳銭、地方通貨もある。

[2] 「踰東家牆而摟其處子」は、『孟子』の告子章句下に出てくる話。

[3] 伝説上の隠者で、尭が国を譲るといったことを耳が穢れたと耳を洗い、山にこもったといわれている。

[4] 孫 震(そん しん、?- 280年)は、中国三国時代の武将。

 

これは心情的に納得できません。賢い人はたんまり稼いでいいじゃないですか。稼いだうえで賢く使ってもらえば。だから「賢い人で金持ちはいない」というのはむしろ社会的損失だと思います。

本当の金持ちというか金を稼ぐ人は、金が欲しくて稼いではいません。世の中をどれだけ動かしたかを客観的に測る点数のようなものだと言ってました。だから私の知っている範囲では、金に執着するようなことはありませんでした。