江戸の尼棚[1]あたり魚屋の何某とやらがいた。子供に男兄弟がいたが、鳶が鷹を産んだ以上の器量もので、兄は五歳弟は三歳の時に、親方筋の両替屋から養子に欲しいと再三乞われたが、兄弟だけでは力ないと思ったのだろう。言い逃れで返事を送らせているうちに、上様直々に手代と乳母まで連れてきて、何としてでも連れて行かれてしまった。後には女房は人買に騙されて連れて行かれてしまったような気持ち、亭主は親方と出世筋の乳母まで連れてきてお願いにきたのも宿縁[2]であろう。これは倅の幸せであろうとそのままにして置いた。さて宗領が一人で一層可愛がって気儘に育てたせいで、時々食べ過ぎて腹を壊すことがあっても、薬が嫌いと嫌がり薬を飲まず、薬を飲ますあいだ泣くのをかわいそうに思い、その病気がよくなることを忘れた。不覚の親がするようなことは貧乏な家にはよくある事だ。後で大病すると、その病気は治らない。その病気で泣こうが喚こうが、無理にでも薬を飲ませようとするのがその子のためであり、本当のあいである。世間の多くは薬代の高い物を用意して、食べさせてその病気を治す。するとさらに薬嫌いになり、それよりも贅沢になって朝夕におかずがなければ食事をしたような気にならないようになる。この子も愛に溺れるうっかり者の親であるので子供同士の喧嘩でも絶対に負けるな、相手をぶん殴ってこいと強気な事を教える。とかく子供は親の性格や育て方に影響されるので、見るに染み聞くに慣れて、他人の子に怪我させて帰るようになれば、親の方で喧嘩が絶えなくなり、成人すると街に出ていって不理尽なことをして、商売で稼ぐにつれて親は喜び、商売が上手い才能があると可愛がる。その一方で悪口や告げ口をして、他の人から悪人と避けられるようになる。そのうち、自分を恐れているのだと思うようになり傍若無人に振る舞うことが楽しくなってくる。そうしているうちに、同じように育った我が侭な友人、禁止されている博打をするようになり、今となっては魚屋なんかやってられるかと辞めてしまい、競組(きほいぐみ)などと任侠を好む。親からもらった体であるから、疵をつけずに一生を終えるのを孝行とすべきなのだが、背中に不動明王の入れ墨をして、人に会うのに腕をまくったり肩を見せたり、入れ墨を自慢して人を脅す。眉をしかめて人をにらみ、悪態をつきながら拳を上げて殴りつけ、日々喧嘩や口論をして過ごすかのようにみだりに人を殴りつけ、人の諌めを聞かず、高のしれた魚屋、出世なんかできやしない。それよりも、世間の人に立てられ名を挙げるのが本望だと、さらに親でも手に負えない不埒者となり、後になって親の首に縄をかけるような事は確実である。親類のすすめも両親も見限り、遂に訴えられ絶縁した。幼いときの可愛がり過ぎに引換その時の憎しみ、これは全て親の育て方が悪いからこういう倫理からほど遠い事になる。

 


[1] 現在の東京都中央区日本橋室町1丁目付近。

[2] 前世からの因縁。

 

これって愛着障害でしょうか。年齢からいったら合わない気もしますが。

今で言ったら、小学校まではいい子だったのに中学に上がる頃からヤンキー化して、やくざ者になってしまったというところでしょうか。親が親としての勤めを果たさないと、こうなりますよという事例ですね。思春期の第二反抗期をしっかりと躾けないとこうなります。