四民のうち工は職のことで、全ての職人は自分の心入れが正直であり偏屈であり、財産も暮らし方も大きく違う。どんな職であっても叩き止めれば食えなくなる。諺通りであるが、普段からの心掛けが重要である。

しかし、職人は自分の足分の他は隣にある物すら見ず、雨が降っても日照りであろうと一人前にそこそこの利益以上は儲けにくいものであると自覚し、律儀いっぺん根を十分にするのが通常である。こういった心入れのある職人は、一生暮らしていけないはずがなく、子孫代々安定した住居に金持ちにはならなくても繁昌するだろう。みだりに利益を貪ろうとする商人は、一時は繁盛することああっても、代々続かないどころか風前の灯のように消えてしまう事が世間では多い。そういうのを見ると職人は、貧乏暮らしをしても夜は良く寝られるはずだ。例えば百姓のように世界の巡り合わせは風雨の不順のようである。天候不順で作柄が悪いといって、百姓が急に商売をすることはできない。かなり気を配って精力を尽せば、今年の不出来は来年取り返せるものだ。職人はそのように暇だからといって、商売を考えて実行してはいけない。相変わらずじっと自分の職分を勤めていれば、忙しい時期にあうものである。

職人の家に生まれた者は、職人気質があって商売は勤まらない。職人が商人を羨むのは、狩人が船乗りを羨むのと同じで、道筋が違えば心掛けも雲泥の差があると理解すべきである。特に職人の道は差が大きいので、精出して勤めてさえいればつかみ取り、一方である職人は必ず野良で貧乏する。また昼夜関係なく、人を多く使い自分も働く職人だからといって格別に金を稼げるわけではないが、一生食いそこなうことがない人が多い。この点が商人と職人の心入れの違いである。

 

 

職人については鈴木正三の「万民徳用」のなかでも書いていますが、それ以降の職人の職業倫理についての記述は見たことがありません。多分探せば出てくるのでしょうけど。

現代で考えてみると、商業と工業は一体化しているので新たな考え方が必要でしょう。